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2005年02月27日
社会的本能の低下
最近は他人に迷惑をかけることを何とも思わない人が増えたという。実際にそのように感じるし、多くの人が同じように感じているようでもある。
それは単なる風潮の変遷ということではないように思う。最近の社会の変化は激しくなってきていて、例えば少子化であったり、詐欺犯罪の増加であったり、グローバル化、晩婚化、離婚増、デフレ、様々な現象が一連の流れの中にあり、それぞれは個別の現象ではないのだと考えている。
個人個人が判断基準として一定の経済的合理性を持っている以上、利己的で、他人の不利益を顧みないというのはある意味当たり前のことであるのだが、人間の、とくに日本人のルーツである民族の性質として、社会的本能の高度な成熟があった。
例えば、A、Bと2つの選択肢があったとして、Aは個別の行動として最大利益をもたらす選択であると考える。これを選ぶのは現在常識とされる経済学において当然の行為である。しかし、社会的本能は別の選択をもたらす。Bは、個別の行動としては不利益ではあるが、その社会単位に属する全員が同一の行動を取ったと仮定した場合において利益をもたらす選択であるとする。これまでの日本人の多くはBを選択してきたということだ。社会全体から見ればBを選ぶことがより全体の利益の合計は多くなる。この行動をさせるのが社会的本能であり、人間の持つ特徴的な部分だ。
それを選択できるのは空間的および時間的に広く状況を把握し、予測する能力が人間に備わっているからである。それが出来ない人間ももちろんいて、その人々は自分勝手であったり犯罪を行ったりするわけだ。
その中で、歪みが生じてくる。全体の大部分がBの行動をとっている場合に、一人だけがAの行動をとると、全体がAの行動をとる場合よりもはるかに大きな利益となり、それがよりAの方向へ傾倒させしめる。そして、Bの行動はAの存在が必ずあるという状況を織り込むと、相対的に社会全体の利益へ繋がるとは限らなくなる。やがてBがAへと擦り寄っていく。
全体がAであるか、全体がBであるかの場合は、それぞれ合理性のある効率社会であるが、その中間、一部はAで一部はBという状態の場合、それは効率的な社会ではないわけで、今の日本が直面しているのはその状態なのだ。
さまざまな現象が、Bの行動を標準とする一定のコンセンサスの中から逸脱しだしたAの行動によって起こっている。大部分がBであるために、Aの利益がより巨大化するため、極端に他人の迷惑を顧みない行動に合理性が生まれるのである。
投稿者 so-go : 2005年02月27日 12:38
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コメント
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