2010年07月18日

要は宝くじを合法的に売るにはどうしたらいいのか

文章としてまとまらなかったけどとりあえずメモ書き。

例えば麻雀をする場合、序盤では期待値がより重要だが、終盤にどう逆転するか、つまり必要な点数を得なければならない状況というのがはっきりしてくると、期待値が低くても高い得点の可能性が残されているほうが有効な選択になる。

この可能性自体に市場価値がついているのがオプションプレミアムだとして、じゃあ宝くじはプレミアムが非常に高い商品であり、しかも売り手のリスクは規模の大きさというか割り当ての金額が売上の範囲内に完全に納まることによって限定される。

プットとかコールは時間的価値は漸減していくわけだけれど、宝くじの場合は当選発表直前まで価値は減少しない。また当選者が出ないなど期待変動の価値を減少させる要素を補完するキャリーオーバーなどの手法も開発されている。

買い手にとって金融商品で宝くじの要素を持ったものも無くはないが、そのプレミアムを一手にとれるような売り手になることが出来れば宝くじと競合できるだろうし、法律、税金という縛りが緩い分、勝てないこともないのではないかという気がする。

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2010年03月18日

角膜矯正療法ってすごい気になる

俺もだいぶ目が悪い方なんで、視力回復系の話には興味があるけれども、レーシックは価格的にも手頃で効果も高いとはいえ、やはり角膜を削るというのは一種の怖さがあるというのと、何度かクリニックで事件事故が起きていたりするので自分の大事な視力を預けるには全幅の信頼が置けないという点で未だ手術をしようという気は起きなかった。

亀田3兄弟の三男が視力回復をしたという今日のニュースで三井メディカルクリニックというところが、就寝中にコンタクトレンズを装着することで角膜を矯正して視力を回復するという療法で高い成果をあげていることを知ったのだが、これはサイトの情報通りならばかなり素晴らしいものなのではないかと思える。

回復まで数年かかって、けっこうな手間がかかるようではあるが、角膜を削ることに比べたら精神的な敷居はだいぶ低い。レンズの設計、加工が大変なのでそこそこ費用がかかるのだと思うが、レーシックがやがて低価格化してきたように、競合が現れてきて競争が発生してくれば費用も下がってくるのではないかと希望的な観測をしたいと思う。

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2009年07月05日

ニコニコ動画が政治の真実を突いているとは言い難い

ニコニコ動画にはマスコミに出てきにくい政治関連の動画があって、真実を知ったり公平な判断をする一助になっているのではあるが、実際にはやや保守勢力の宣伝工作に流されている状態にある。

というのは、いつも見ていて思うのが、政治関係の、特に保守系の動画では、ジャンプ機能を使って動画を見終わった人を別の動画に勝手に誘導するという行為が日常的に行われている。つまり、数字工作だ。通常であればこのような行為はジャンプ元、ジャンプ先とも非難の対象になるが、内容が保守系の政治的動画で、ある種の良心に基づいて公開され、視聴者もだいたいは保守系の支持者であるため、動画が公然と非難されることも、タグなどでジャンプを警告されることもない。数字工作で実態以上に勢力を大きく見せる行為が蔓延っているのだ。

ニコニコ世論調査は本来、その調査方法からしてヤフーやテレビの世論調査よりよほど統計的に信用できる数字であるはずだが、ニコニコユーザーの世論自体がすでにニコニコ動画に誘導されてしまっているということを考えると、世間からはズレていると考える必要がある。

投稿者 so-go : 22:12 | コメント (0) | トラックバック

2008年11月12日

何かにつけて、「~いますヨ」「~ですヨ」という感想が寄せられています的な文章が出てくるが、実際に語尾に「ヨ」をつけた体験談が宣伝主に寄せられる確率及び、口答でのやりとりなのになぜかカタカナの「ヨ」が頻繁に使われるという不自然さを考えれば、基本的にこの手のセリフは宣伝主が勝手に創造したものであると考えて良いだろう。つまりは「~ヨ」系の文章が出てくる場合、その宣伝されている商品は基本的に怪しいか、大した価値がないか、平気で人を騙しても構わないと考えているモラルのない人が販売しているということになるのではないかと考えた。

すると、聖教新聞や赤旗に頻繁に「ヨ」が登場することを考えると、創価学会や日本共産党というのはどの程度の存在なのかが知れるということになる。この「ヨ」判定方式がもし普及してしまえば今後文章を書く側も警戒して「ヨ」を使わなくなってくることも考えられるが、もし「ヨ」がなくなったとしてもやはり創造された文章というのは某かの違和感が残ることが多いわけであるから、基本的な考え方は変わらない。今後我々は「ヨ」に象徴される不当広告などの類に騙されぬよう注意していくことが必要である。

投稿者 so-go : 06:50 | コメント (0) | トラックバック

2008年07月13日

ワンルームマンションくらいならもう買ってもいいんじゃないか

もう都心部でワンルームが1000万円台が普通になって来ていて、賃貸に関しては需要も安定している。このくらいの金額ならまあ万一のことがあってもなんとか諦めがつくんじゃないかって感じで。金利がやや上がっているとはいえ、そんなに長期の返済にしなければいいだけの話だし。

自分で住むにしてもとりあえず買っておいて、引っ越すときに貸し出してまた新たに買えばいいんじゃないのかなという。この金額だったら返済中でもさらにローンを組むことくらいできるだろう。

で、物価は資源高の影響でインフレ気味。そのうち所得にも反映するはずで、本当にインフレ方向に振れる可能性は高い。となればまだまだ低金利の状況で、今のうちにマンションを買っておいてもそう大損はしないだろう。

しかしだからといって田舎の安い一軒家とかでもいいんじゃないかということにはならん気がする。それはそれでずっと住むなり別荘にするつもりならいいけど、そうでないなら本当に価値がなくなってしまう可能性は高い。基本的に今の地価上昇はあくまで都心部とその波及する範囲での話であって、バブルでなんでもかんでも上がっていくというものではないからだ。

投稿者 so-go : 17:12 | コメント (0) | トラックバック

某所が創価学会祭りみたいになってるので

この流れなら書ける。

基本的に今、創価学会の総体革命というのはマスコミと出版及びその流通に浸蝕することで進められようとしているわけだけれど、インターネットが及ぼした影響によってどうも結果的にその流れを逆流させることが出来ているような感じになっている。

テレビや出版で以前よりもややオープンに創価学会批判ができるようになったのは、創価学会問題が周知の事実になったということと、webの存在が創価学会が露骨な工作活動に出ることを許さないという状況になってきていること、さらに「創価学会批判」という市場がある程度人が食っていける程度に成長してきたということがある。

創価学会は情報を操ることで世の中を支配するという非常に理に適った戦略をとってきたが、情報の発信源がここまで急速に分散化し、拡大するとは予測できなかったか、あるいは判っていてもどうしようもなかったのだろう。実際のところ自分もメディアリテラシーがここまで急速に浸透するとは3年前までは思っていなかったことだ。

こうなるともう創価学会と草の根とのスピード勝負で、どちらが相手を押しつぶせるかということになってくる。あるいはwebの拡大速度によって創価学会は放っておいても消えるかも知れないし、創価学会がwebを支配するための新手法を開発して勝利するかも知れないが。

投稿者 so-go : 10:08 | コメント (0) | トラックバック

基本的に本屋ってCDとかDVDを注文できるっぽい

今年から書店をやってて、今週初めて気がついたことだけれども、どうやら書店でも普通にCDとかDVDを取り寄せることができるらしい(少なくともトーハン系では)ことがわかったんで、今度からそっちの展開も考えてみようとか思っているわけだが、よくCDショップで新譜の予約をするけど、実は書店でもできるってことになるわけでちょっとした驚きだった。

で、それ以外にもソースネクスト等のPCソフトやらDSの知育系ソフトとかも取り寄せ可能で、初めてコンビニでなぜ申し訳程度のCD、DVD、PCソフトなどが置いてあることが多いのかようやく理解できた。あと書店によくある耳栓やらMP3プレイヤーやらキャストパズルやらも。

トーハンの場合、トーハン・インターメディアとトーハン・メディア・ウェイブという会社が仲卸をしていて、客注ならそのまま注文すればいいし、買い切りでもなさそうだし、商材選びとか棚割とかも面倒をみてくれるようだ。日販の場合は知らんけど、たぶん似たようなことはやっていると思われる。つまるところ書店をやると簡単にミニCD・DVDショップ的なものを作れるということになる。

で、今調べているのが、PCソフトの扱いがどの程度のもんなのかというところ。ソースネクストは発注リストをもらったし、media5はISBNコードがふってある。そういうのは簡単だが、じゃあトーハンの出版社リストにあるコーエーとか、取扱店にトーハン・インターメディアの名前がある日本ファルコムなんかはどうなんだろうかと。もしこの2件が扱いがあるのならば他にも相当幅広くやっているということにもなるし、たまに「ソフトバンク(トーハン・インターメディア扱い)」みたいな表記も見かけるので思いのほかいろいろありそうではある。

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2008年07月12日

青雲

何かの気紛れで再録。

【ニコニコ動画】青雲 (歌ってみた)

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2008年05月25日

「仕事」が人生の中心になってませんか?

あまり人に言えたことではないが、収入を得るための行動、というのがあまりにも人生のなかで重要度を占めすぎている人が多いのではないかと思う。

「仕事」が人生の中で占める割合、これは例えばエンゲル係数の考え方と同じことで、大きいほうが文明レベルが低く、小さいほうが文明レベルが高いと言えるのではないかと考えるわけだ。

で、実際のところ、社会人のかなり多くの人間が、「仕事」を人生の中心的なものとして捉えているように見える。これは実のところ意識の問題であって、物理的に収入を得ることに注力しないと生きていけないというほどの状況ではないことが殆どではないかと思う。

日本がなぜそこまで円高を嫌うのか、欧州はなぜユーロ高を許容できるのか、その本質はここらへんにあると思う。日本も欧州も内需中心の経済だが、日本では考え方が収入を得る方法に傾倒しすぎてしまっていて、実際の生活がどのように幸福を実現するのかという考え方になっていないように思える。

「仕事」を人生の中心として考えるかどうかは意識一つであって、人生全体の設計図を考えたときにそれとは別の大きな要素が存在しうるということを考えられるかどうかということだと思う。日々の仕事に追われすぎて、そのことを考えるよりとにかく仕事が最優先だという考えに陥ってしまってはいけない。基本的に仕事は収入を得る手段の一つであって、文明が進歩していけば必然的にその割合は下がっていかなくてはおかしいことであり、今はまさに文明が電子デバイスなどのITによって一段の進歩を遂げようとしている時期のはずで、その恩恵はどこかには訪れているはずなのだ。それがごく一部の資本家に集中するか、それとも我々一般人を含めて広く訪れるかは、個人個人の認識と行動に関わっているのだと思う。

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2008年05月10日

1、2を争うものって

だいたい3個以上あるのではないだろうか?どうでもいいけど。

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2007年10月04日

ブランドの構築とか言うけどさ

客はどんな客でも逃がさない、というような姿勢で商売するような事業者にブランドイメージなんてついてくるわけねえだろ、と思う今日この頃。

集客と囲い込み、とは言うけど、囲い込みってのを100%の客に対するものだと思ってる時点で間違いだろうと思うわけだ。集客をマスで行う以上、その中には利益にならない客もいる。それでも事業トータルでの利益を志向するからこそマスで集客を行うわけで、その中から必要のない客が判明したなら、その時点でその客に対しては通常のサービス以上の囲い込みの努力は放棄して然るべきだろうと。

ブランドイメージというのは敷居が全くないところには存在しないはず。それは、ブランドイメージというのは顧客の優越感のようなものに依るからだ。

で、特に下り坂で将来が絶望的な業種にいる場合、目先の囲い込みなどにさしたる意味はなく、新たな事業に展開するためのブランドイメージの構築という目的に比べればあまりにも下らないことだ。

しかしまた、実際のところその業界には、成長産業であった頃に育ってきた経営者たちばかりが軒を連ねて徒党を組んでいるものだからたちが悪すぎる。その中で設立6年目の自分達は正論を吐くことすら許されない。護送船団は集団で沈没する方へ近づいている。

きっとその流れの中で、何かにすがる動きが出てくる。そのときに明らかな解決策を提示している状態にしていられるかどうかというのが勝負どころ。頭の固い人間たちも別の解決策を提示することになるだろうが、それをごり押しされるようならばこの業界は見限り、食い物にするために別の業界を動かすという方向へと向かうことになるだろう。

投稿者 so-go : 00:25 | コメント (0) | トラックバック

2007年04月12日

マイローソンポイントに申し込んでみた

ただのポイント1%還元の大手にありがちなつまらんポイントカードと思いきや、使い方を間違えなければ、なかなか凄い還元率っぷりのポイントプログラムだったりするようだ。

「お試し引換券」では1ポイント8円前後に相当する商品と交換できる。更に、100円1ポイントの他に、1精算につき1ポイントがつくことになるというのが1回当たりの利用額が小さいコンビニではかなり大きくて、仮に1回当たりの利用額が500円とすれば、「お試し引換券」での還元率は9.6%ということになる。

さらに、積極的に公表はされていないようだが、他のクレジットカードとの2枚出しでも同じポイントがつく。そうなるとコンビニで還元率10%越えということになり、あらゆる商品に適用される分、スーパーマーケットより勝る場合すらあるだろう。

ただ、「お試し引換券」の品物は菓子、飲料ばかりで、もともとそういうものが要らない人にはそこまで魅力はない。それでも2枚出しが出来るので、クレジットカードと組み合わせて金券還元で1.2%程度がプラスされると考えると、コンビニを頻繁に使う人にとっては無視できないと思われる。

別にローソンパスでも同じというか、ローソンパス割引がある分得だけど、クレジットカード同士の2枚出しはたぶん相当めんどくさいし、なんか卑しい感じが漂いそうなのでこっちのほうが良さそうだ。

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2007年02月05日

東京こそが長く発展し続ける

最近、東京には高層ビルが乱立という様相を見せているが、これに対して、諸外国の高層ビル街などと比較して疎らであり計画性がなく、非効率的な街作りだとの批判がかなりある。

確かに短期的に見ればその通りで、景観は損なわれ、経済は集中せずに広域に拡散していて、空間的に非効率的であることは確かだ。しかし、長期的に見ると話は変わってくる。

上海やドバイなりの高層ビル群は現在では最高峰の圧倒的なビル群が集中して建っている。しかし、やがてそれらも最高峰、最先端ではなくなる時が来るというのは確かなことだ。そうなると、その経済の中心地とは別の位置にまた最高峰のビル群を建設する、というサイクルになる。

東京の場合はあくまで市場経済に基づいた個別のビルが建っているだけで高層ビル群を成している。だからこそ地平線までビル街が続くというほどの世界最大の都市圏を形成し、膨大な需要を満たす街が出来上がっている。

始めに高層ビル群が現れた新宿は集中した経済の中心地であったが、東京という都市圏が一体であるために、新宿が一段落すると品川、池袋、六本木、汐留、丸の内というように別の場所で高層ビル群が造られる。

その中で2011年までには日本橋地区から品川にかけての連続した高層ビル地帯が形成される。その後は上野、秋葉原などにも波及していき、やがて東京全体が高層化する。しかし疎らであるために、また暫くするとその地帯の中に新たな最高層のビルが建築されていく。

この再開発サイクルこそが50年や100年という長いスパンで発展が続く所以であり、東京全体の開発の終わりというのは見えない。500m級以上のビルが当たり前になる時代でも東京は東京のままで変化し続け、いつも少し時代遅れであるという批判を受けながら最も巨大な都市圏を維持し続けるのだと思う。

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東京こそが長く発展し続ける

最近、東京には高層ビルが乱立という様相を見せているが、これに対して、諸外国の高層ビル街などと比較して疎らであり計画性がなく、非効率的な街作りだとの批判がかなりある。

確かに短期的に見ればその通りで、景観は損なわれ、経済は集中せずに広域に拡散していて、空間的に非効率的であることは確かだ。しかし、長期的に見ると話は変わってくる。

上海やドバイなりの高層ビル群は現在では最高峰の圧倒的なビル群が集中して建っている。しかし、やがてそれらも最高峰、最先端ではなくなる時が来るというのは確かなことだ。そうなると、その経済の中心地とは別の位置にまた最高峰のビル群を建設する、というサイクルになる。

東京の場合はあくまで市場経済に基づいた個別のビルが建っているだけで高層ビル群を成している。だからこそ地平線までビル街が続くというほどの世界最大の都市圏を形成し、膨大な需要を満たす街が出来上がっている。

始めに高層ビル群が現れた新宿は集中した経済の中心地であったが、東京という都市圏が一体であるために、新宿が一段落すると品川、池袋、六本木、汐留、丸の内というように別の場所で高層ビル群が造られる。

その中で2011年までには日本橋地区から品川にかけての連続した高層ビル地帯が形成される。その後は上野、秋葉原などにも波及していき、やがて東京全体が高層化する。しかし疎らであるために、また暫くするとその地帯の中に新たな最高層のビルが建築されていく。

この再開発サイクルこそが50年や100年という長いスパンで発展が続く所以であり、東京全体の開発の終わりというのは見えない。500m級以上のビルが当たり前になる時代でも東京は東京のままで変化し続け、いつも少し時代遅れであるという批判を受けながら最も巨大な都市圏を維持し続けるのだと思う。

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2007年01月21日

亀田興毅について

なんか強い相手から逃げ回ってるとか隙間を突いてるだけとか他の真面目なボクサーを引き合いに出して言われてるけど、確かにそれは間違っていないかも知れないが、それが成立する時点でボクシングの世界って商業的に未熟すぎることの証明じゃないのかと思う。

本来ならばその仕組みの中で市場原理に従って、弱い相手と戦ってランクを上げていくことが出来る状況にあらゆるボクサーが群がってしのぎを削ってなきゃおかしいんじゃないのかと。そしてそれに付随して試合を成立させるために選手に商業的価値をつける努力ももっとされてないといけないはずだ。

そこがぬるいから、インドネシアあたりの人間を呼びつけて簡単にランクを上げて、下手をするとチャンピオンになれたりする。全てのボクサーが亀田興毅ほどに格を上げることに貪欲ならばそんなに簡単にはならないはずで、明らかにボクシング界は全体的に努力不足か、あるいはピントが大幅にずれている。

リングの上で勝てるか勝てないかという前に、ボクシングの世界のルールの中でどう上に上がっていくのかというプランが希薄で、ただ闇雲にやっているだけの低レベルな世界では、いつまでも人気は出ない。よくよく見渡せば、こんな状態ではボクシングに人気がないというのは当たり前で、亀田興毅のようなやり方を多くのプロがやるようにならないとボクシング自体の人気なんて上がるわけがないし、結局のところ市場原理に従っていないので試合のレベル自体も向上していかないはずだ。

投稿者 so-go : 16:57 | コメント (0) | トラックバック

2006年12月04日

ホリエモンのソニー買収って

荒唐無稽な大風呂敷のように言っている人もいるだろうが、目の付け所としては全然間違ってないとは思う。

ソニーはそのブランド力に比して非常に割安であるということは言える。そして株主構成を見ても外資の機関が多く、比較的買収しやすいように見えてもおかしくはない。ライブドアの時価総額は5000億円を超え、数年後には数兆円というところまでは見えていた。強制捜査直前まで株価は乱高下しながらも上昇を続けていた。

ソニーの時価総額は4~5兆円で推移していて、堀江氏が40歳になるまでに買収が不可能なほど巨大であったとも言い切れない状況ではあった。そしてソニーは世界一のブランドであるというのは各種調査などからも出ているので、世界一が見えるというのもあながち間違ってはいない。

マイクロソフトやデル、あるいはトヨタなどを買収するというような途方もないことと比べれば世界一を目指す道としてはかなり近道であり、最短距離に近い方法なのではないだろうかと思う。

ただソニーも基本的には製造業で国際企業だけあって、買収に対してはフジテレビなどのように無頓着ではなかっただろうから、実際にはそううまくはいかなかった可能性も高いとは思うが。

投稿者 so-go : 03:13 | コメント (0) | トラックバック

2006年11月27日

ホリエモンが無罪になった後どうなるのかねえ

堀江氏は裁判の内容からすると裁判官の暴走なり癒着が無い限りは無罪になるだろう。それはそれで司法制度としては結論になるわけだけれど、証拠も何もなく実にくだらないことで逃げようもない堀江氏や熊谷氏を簡単に逮捕し、東証やマスコミに裏工作をしてライブドアを性急な上場廃止に追い込み、新興市場を始めとして日本の株式市場を墜落させた検察は責任のとりようもないし、とろうともしないだろう。

株式市場や経済に対しても、それに付随するいくらかの投資家の人生を破壊したこともそうだが、被疑の当事者である堀江氏やライブドアの関係者にとってこの悪意に満ちた検察の破壊工作は重い。

そのことをマスコミが報じて今後はこういう事態が起きにくい空気を作ってくれればいいが、マスコミも自らの責任を回避するためにそのようには動かず、この惨状を無視するのではないか。今だって、これほど注目度の高い裁判にも関わらず、マスコミはその詳細を伝えない。あるいは婉曲して伝える。

インサイダー取引や風説の流布の容疑は消え、粉飾決算の実態は宮内氏、中村氏、野口氏による横領事件であることが明らかになってきたということを、殆どの人は知らない。どれほど調べても堀江氏関与や会社ぐるみの犯行の証拠は現れない。隠蔽工作の痕跡は検察がリークした噂としてはあったが、実際にはない。

ライブドアは法人としては粉飾を認めている。しかし、それは取締役の半数以上が逮捕され、否応なく経営陣が入れ替わった後のことだ。検察の横暴としか思えない。

蓋を開けてみれば上場廃止に相当する事案ですらなかった。検察が東証にまで工作をかけてこのような事態に追い込んだことを断じて許してはならない。これが最終的にまかり通るような国であるならば、経営者はおちおち上場も出来ないし、監査法人が認めた決算にハンコを押すことも出来なくなる。有罪というのは論外としても、無罪になった後にちゃんと検察の罪を検証し、二度とこのような事態が起きないように声をあげていかなくてはいけないと思う。

投稿者 so-go : 19:44 | コメント (0) | トラックバック

2006年11月25日

ライブドア解体とUSENグループ構築

グループとしてはきっちり体裁を整えてきてたライブドアが一気に解体に向かったけど、むしろUSENのもとで本来のインターネット事業としてまともな方向に向かってる気がする。

ライブドアグループというのはライブドアの知名度とイメージを利用して適当な事業をインターネットで大手の地位まで引き上げてやるということの繰り返しだったわけだけれど、USENが求めたのはライブドアの利用者というのもあるだろうが、ライブドアの本来の強みであるWebとホスティングの設備やノウハウであったわけだ。

これというのは実にヤフーが得意としていることと一緒で、USENがこれから動画コンテンツという分野で否応なくヤフーとぶつかる以上は、そのあたりの技術的な面で躓くとかなり辛い。その中でUSENは無価値とまで言われたライブドアの本体を吸収したいために、ライブドアグループを引き取って解体作業をしているというところだろうかと思っている。

このあたりは今のライブドアの大株主である外資系ファンドと一致するところだろう。しかしUSENがライブドアの保有する現預金などの資産を押さえられるかどうかというのが微妙にアレなところな気がする。

投稿者 so-go : 01:32 | コメント (0) | トラックバック

2006年11月09日

ホワイトカラーの残業手当廃止とか言っているけど

現状だと一流とされているような企業ですら単に制度悪用へ向かいそうな気がもの凄くしているんですが。

今でも中小企業などでは多くの労働者を便宜的に管理職扱いにしてかなりの労働をさせているという状態で、そういう抜け穴に対しての対策は急務とも言えるはずなのにそういう話はあまり聞こえてこない。まあもともと労働基準監督なんてザルなわけで労働時間の把握すらされていないわけだけれども。

で、どうもそういう状況の中で、比較的労働時間などをちゃんとチェックされている大企業なんかが、自分達もサービス残業使わせろよ、っていう方向に動こうとしているような気がしてならなくて、名目としてホワイトカラーというのがちょうど使えそうだ、アメリカでもホワイトカラーはめちゃくちゃ働いてるじゃん、ということを利用して突破しようと試みているように見える。

まあ一定の経済的合理性はあるんだけども、程度が低いように見えるわけですよ。

金を儲けて、国際競争力を保って、勝って豊かになるということが幸せになる道であったのは間違いないけれど、その時代が日本にとって100年以上もの長い間続いたせいか、もうそのフェーズが過ぎようとしていることに気がついていないんじゃないかという思いが自分にはある。

もちろんだんだん世の中にその流れ、その感覚は広まっていっている。スローライフ、ロハスなんて言葉に代表されるような流れが、庶民には少しずつ広がっている。しかし、なぜか本来はその先頭にいていいはずの大企業の経営者たちがまるで鈍感なように見えるわけだ。

知的な生産こそが巨大な付加価値を生むという状況、その中での今の日本の立ち位置、そして個人がどう生きれば幸せなのか、それを考えて、乾いた雑巾を更に絞り続けることが正しい選択だと判断するのかどうか。経団連の連中などこの件で残業手当廃止を推進する経営者たちは、恐らくその程度のことも考えていない。専門的知識はあるかもしれないが、考えが狭く、浅い。

彼らの愚かさをわざわざ指摘しようという奇特な人間はそう多くはいないだろう。報われもしない行動より、自分を取り巻く状況だけに注力した方が良いだろうからだ。その状況を狡猾に利用されるならまだしも、愚かな考え方の元で搾取されるのはかなり腹が立つ。

投稿者 so-go : 17:48 | コメント (0) | トラックバック

2006年11月04日

皆様の健康を願いまして

なんか今日は同僚に連れられて新興のマルチ商法のイベントに行ってきた。ニューオータニでの2000人規模のけっこう大きなもの。かなりの勢いで拡大しているらしい。

照明と音の演出で異様な雰囲気の中、最初に船井幸雄さんが出てきて「私はこういう暗い中で話をするのは嫌なんです。私に当たっている照明を落としてお客さんのほうを明るくしてもらえたらいいんですけど」とか言っていきなり批判してて笑った。船井先生はMLMはいいんだけど参加者があつかましいのが良くないところだとか、けっこう毒を吐く。さすがだ。

戦略的にはなかなか素晴らしいものがあって勉強になった。中国の格差、地域経済の事情とかいろいろ面白かった。

売っているものは今のところ、固体水素イオン(固体マイナス水素イオンとも呼んでいる)という還元力の高い抗酸化成分を含むサプリメントだそうで、非常に素晴らしいものらしい。

さて、参加者の皆さん国民の健康を願ってやまないようですので、商品の紹介でもしますか。ちなみにそこで扱っているのがコレとかコレなわけですが、同等の製品で価格が軽く3分の1以下のものがありまして、それがコレでございます。皆様の健康に役立てて頂ければ幸いと存じます。はっはっは。

投稿者 so-go : 18:37 | コメント (0) | トラックバック

2006年11月02日

あれこれ考えて

材料は、「時間」、「空間」、「自分」、「モノ」。

自分に関わるいろいろな膨大な要素を整理しようとして行き着いたのがこれだけのことだった。それらをどう確保するか、どう高めるか。

こんな風に単純化して考えることで、より物事の中心に近いところへ働きかけたり、全てに応用できるジェネラルなスキルとか状況を得るところへ近付くような気がしている。

そういうことを限られた時間の中で自然に身につけるような性質は持ちあわせてはいないから、まずこんなふうにあれこれ考えてから生きることへ戻っていく。

投稿者 so-go : 21:14 | コメント (0) | トラックバック

2006年09月10日

総裁選の関係で思ったけど

例えば経済を良くしよう、財政を良くしよう、という場合に、経済を、財政をひとくくりにして入り口と出口を調整してみようとしたってダメなんだと思う。それをやろうとしている人が国会議員の中では多数だったりするという状況にあると思う。

まあ、それがなぜかって言うと「政治」ということの中ではそこに注力することのプライオリティが本来必要とされるより低いこと、日本という国の経済が強いのでそこまで考えなくても国がひっくり返るほどの大問題になっていない、というところにあるのだと思うけれども、まあそれはそれとして。

経済を強くしたり税収を増やしたりするには、特定のドライバとなる存在が引っ張った方がよほどうまくいくはずで、一つの分野にガッと突っ込んで徹底的に強化することこそが必要とされていることなのだと思える。

例えば韓国においては半導体、通信インフラ、映画、ゲームあたりの産業振興に、国力からすると異常なくらい突っ込んでいて、それが経済を牽引している。それが見ようによっては都市部だけ栄えて地方は散々な状態であるということなど、バランスが悪いように見えるのだろうが、そうではなくて、限りある経営資源を均等に振り分けていたら絶対に国民の生活は向上していなかったはずだと思うわけで。そのあたりを日本の政治家たちが忘れつつあるのだろうかと思う。

今回の総理大臣候補3人で言うと、その意味で自分は圧倒的に麻生太郎氏が良いと思っている。まあ自分は自民党員でもなんでもないので成り行きを見守るしかないわけだが。

投稿者 so-go : 23:40 | コメント (0) | トラックバック

2006年08月14日

こんな目覚ましアイテム

スラッシュドットより

トレたまで紹介されたという"SLEEPTRACKER"。起きたい「時間帯」をセットすると、眠りの周期をモニタリングしてちょうど起きやすい時間にアラームを鳴らすらしい。

自分が今使っている目覚ましライトも非常に良いのだが、眠りの周期と完全にずれるとさすがに起きづらい時もある。目覚ましライトが生体リズムを操作するタイプだとすれば、SLEEPTRACKERは生体リズムに合わせるタイプと言えそう。

この手のものとしては値段も手頃で使用も難しくなさそうなんでちょっと欲しくなるものだ。

投稿者 so-go : 21:13 | コメント (0) | トラックバック

2006年08月11日

最近のマジックミラーは凄いですね

非常に透明度が高い。
http://gigazine.net/index.php?/news/comments/20060809_swiss_toilet/

投稿者 so-go : 23:34 | コメント (0) | トラックバック

松下電器産業様のオススメ

http://panasonic.jp/viera/lineup/choice/02_roomsize.html

4.5畳の部屋には37型、6畳には42型、8畳には50型がオススメらしいです。しかし松下様は液晶テレビは32型までしか発売しておらず、これらは全て4.5畳より更に狭い部屋を対象として作られているようです。15型テレビはトイレにでも設置するのでしょうか。普通のご家庭にはプラズマしか縁がなさそうです。

ちなみに9月発売予定の50型は定格消費電力が598Wとのことで、8畳間に設置すると電気ストーブの代わりにもなりそうです。冬は快適に過ごせそうですが、夏は部屋のエアフローも最適化したいところですね。

投稿者 so-go : 16:49 | コメント (0) | トラックバック

2006年08月02日

考えることってそんなに面倒かね

なんか喋ると、「いちいちそんなことまで考えてるんだ」って感じの反応が返ってくることって多くて、その度に、別にわざわざ考えようと思って考えてるわけじゃなくて、自然に考えてるうちにたまたま気がついただけのことなのになあ、と思ったりする。

自分にとっては常に何かを考え続けていることが当たり前になっているのだが、それは普通のことではないんだろうか。考えるということは強い能動性を必要とする行動なんだろうか。

もちろん程度にも依るんだろうけれども、自分の場合は浅い考えに留まることが気持ち悪くて、多少は深い考えになるまで思考を巡らせる。それは誰もがそうではないことはわかっているし、敢えて深い考えを排除している人もいるだろうし、自分よりも遙かに深い考えに至るまで粘る人もいるだろう。ただ、それは自然にそうなっているだけで、努力の末にそうしているわけではないんだがなあ、と。

投稿者 so-go : 01:35 | コメント (0) | トラックバック

2006年07月20日

現金が安全か?

なぜか最近、株どころか土地や貴金属の資産運用に対してまで偏見が出てきて、果ては外貨預金すら否定されたりする。

ここ最近ずっと日本では円の価値が安定していて、現金で溜め込むことが一番安全であるというような見方をする向きが多かったりする。マネーというものがどこから出てきて何を担保に価値を持っているのかということを理解することは難しい。なのにその価値が消えないものであるということはなぜか信じられている。

場合によっては土地や貴金属のほうがよほど安全な資産であるというのは言わずもがな、むしろそれらはマネーの価値を担保しているものの一部ですらあるのだから、安全であろうとするのならそれらを志向することはむしろ自然であるはずなのだ。

外貨についても、日本円とそれらを並べて比較してみればいい。ドルとユーロと円で資産を分散するという向きも多いだろうが、それは確かに一定の意味はあれど、最終的に自分を守ろうとするなら経済が不安定と言われる地域の通貨であっても安全のためにこそ保持するということはいくらでも考えられる。

現金で100パーセントに近い資産を持っているという状態の危うさに気がつかないままで多くの人は安全だと信じてそれを行っている。場合によってはその価値が目減りしていることにすら気づかされずに現金という金融商品を買い続けている。現金の利便性の及ぶ範囲でしか資産を持たない人間はこの国に於いてはもちろんそれで十分だが、それ以上の資産を持ったときに果たしてそれが適当なのかどうか、よく考えることが大事なことだ。

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2006年07月15日

ゆとり教育で学力低下が問題とか言われているけど

学力低下を容認するからこそのゆとり教育じゃなかったんだろうか。何か間違ってるかね?

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2006年06月25日

今ハイビジョンテレビを買えない理由

別に金銭的なものとかそういうことじゃなくて。

今、急速にHD対応の大画面テレビが安くなってきて、だいぶ魅力的ではある。デジタル放送では高解像度の映像が配信されるようになり、映像ソフトやその他の映像機器も高解像度化してくるので、やはりHD対応のモニターが欲しいとは思う。

問題はパネルとかチューナーではない。一番のネックがまず入力端子だ。今、多少気の利いたハイビジョンテレビでも入力端子はD4とHDMI 1.0などが殆どで、これだと720p、1080iまでしか対応しないし、HDMI 1.0は256階調の色深度しか入力できない。普通の32bitカラーが生で入力できないわけだ。

入力端子に制約されてしまっては、いくら外部にどんな映像機器を繋げようと表現に限界がある。パネルがいくら高性能であっても、パッケージとしてのそのテレビ自体の高画質化処理に頼るしかなく、すぐに廃れてしまうような高い買い物にならざるを得ない。

現時点ではDVI端子を搭載したものがスペックとしては将来的にも非常に使えるものであると言えるが、規格として標準とは遠そうで、結果として使えないものになる可能性を考えるとやはり買えないし、DVI入力を備えたテレビ自体が少なく、選択肢が狭い。

この状況はすぐには改善しそうにない。HDMI 1.3や2.0、D5端子が低価格のTVに当たり前に搭載される時を待たなくてはいけない。それはフルHDパネルが主流になって今の1280x720や1366x768のものが駆逐された更に先の話だろう。それまではただ待っているのが正解だと思っている。微妙に時期が予想出来ないことであるため、なかなか気分が悪い。

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2006年05月08日

なんとなく北方領土について

ちょっと気になったのでいろいろひっくり返して調べたりしたが、なんか「北方領土」として南千島に限って領有を主張している意味がよくわからなかった。

基本的にサンフランシスコ講和条約で千島の領有権を放棄しているというところがあるが、ロシアがサンフランシスコ講和条約に調印していないので、千島列島全体を含めた国境は未だ法的には確定していないという状況に見える。

南千島は下田条約で1855年に日本の領土と確定し、そのとき、樺太は日本とロシアの雑居地であったと。その状況からさらに国境を確定するために、1875年の樺太千島交換条約で日本は樺太をロシア領とする代わりに千島列島を領有したと。この時代からの領土が第2次大戦後のどさくさに紛れてソ連に分捕られてしまったという感じだ。

千島列島は1875年以降一貫して日本の領土だった地域であり、日露戦争以前の話で、それがロシアの実効支配下に置かれたのは1945年8月から9月にかけての終戦直後にソ連が不可侵条約を破って侵略してきた時からであると。

普通に考えればポツダム宣言の範囲内では千島は日本の領土であり、それがなぜかサンフランシスコ講和条約で放棄されてしまった。これは紛れもなくソ連の侵略の結果であると思うので、普通に千島列島は日本に返還されるのが筋ではないかと思えるわけだ。

しかしなぜか日本政府は1855年の下田条約の時期の国境線までさかのぼって領有権を主張する。わけがわからない。

そもそもロシアに対しては第2次大戦では武力で侵略した地域がない。サンフランシスコ講和条約で日本が放棄したとしてもロシアの領有にはならないはずだ。日露戦争はポーツマス条約で終結していて、それを遡って覆すのはおかしいので、南樺太も日本の領有する範囲であるはずだ。

どさくさに紛れて占拠された地域というのはかなり多いようで、グアムやパラオなども本来アメリカが占領し続けた理屈はないのだが、意外と酷いことがまかり通っていた時代だったようではある。理屈が通らない世界で何をすべきかというのは、かなり複雑で難しい問題のようだ。

投稿者 so-go : 15:06 | コメント (0) | トラックバック

2006年02月01日

格差格差言うけども

議論はもの凄くいい加減なのよね。

別に格差があること自体は悪くなくて、悪平等主義に陥る方がよほど悪いと。これはまあその通り。ただ、格差って言ったっていろんな形があるわけで、資本主義の結果としての格差は社会全体の効率を上げる上でのバランスだからそれでいいわけだけど、賄賂、天下り等に代表されるように、権力による搾取から生まれる格差は思いっきり否定されるべき性格のものだ。(注:権力ってのはただ単に政府に関係した権力ってわけじゃなくてあらゆる社会的な権力のことを指すわけだが)

平等で完全に格差がないことは別に理想でも何でもなくて、底辺を底上げすることこそが目的なわけで、上はいくら高くたって何も問題はないわけである。それをフラットにしようとしたらそれまでの底辺より下がっちゃったっていうんじゃもの凄い勢いで無意味であり、そんなもんを目指す意味なんてどこにもないわけである。

平等についても各人で定義がぜんぜん違ったりしてそのまま議論をおっ始めてもすれ違うばかりだし、平等を目指した当初の目的すら見失って平等自体が目的になってる人とかもかなりの割合で存在しちゃったりするし、何のために議論するのかさえ判然としない議論もある。

自分の考える平等というのは、能力に応じた仕事があり、仕事に応じた報酬があるということであり、人によって能力も仕事も報酬も違うのは当たり前であるということであるが、この考えは意外と少数派だったりしてたまに現実に目の当たりにするとげんなりする。

能力のある人間にはそれに応じてレベルの高い仕事をしてもらわないと社会は停滞する。その仕事を均等に割り振ってできるものではない。能力の高い人間が社会全体を引っ張ることはその社会に属する人間全ての豊かさ、幸福へと繋がる。しかしただ「おまえ能力があるから難しい仕事やれ」っつってもやりたくないだろうし、だから高い報酬がなければそのシステムは成立しないわけで。で、それぞれが働きに応じた報酬をもらうわけだから平等じゃん、ということで。能力に相応しくない高いレベルの仕事をさせられたらそりゃ苦痛だろうし、全ての人間が同じような仕事をするのはどう考えても平等ではない。それを悪平等主義と呼ぶわけだけれども。

日本人は一般人の所得が非常に高いと言われているが、それは為替レートという眼鏡を通しての話であって、日本で所得3万ドルの人間と欧米で所得2万ドルの人間のどちらが豊かに生活しているか。もっと言えば韓国で所得1万ドルの人間はどうか。単純に所得格差が広がって低所得層の所得の額面が減るから駄目というのではなく、この世の中のどこが変わったら全員が豊かに生活できるのかという考え方をすべきなんじゃないかと思う。

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2005年09月30日

景気回復という言葉

経済を計る上での指標というものはいくつも作られ、それが経済の実態を表すとして信じて疑わないという態度が世の中を支配しており、それが今、景気は回復し、再び良い状態になりつつあり日本経済は復活するのだという論拠とされている。

しかし、指標というのはあるルールの下に算出された数字であり、その前提となる社会構造が変化したときに必ずしも連続的に経済の実態を表すものとは言えない。必ずその数字を「見る」のではなく「読む」ことが必要であるのは言うまでもないことだ。

具体的なことはともかくとして、ここ十数年間の日本社会の激しい変化を経て、今日の状況がある。明治維新以後、第二次大戦の時期とバブル崩壊後を除き一貫して高成長を続けてきた日本の原動力とはいかなるものであったのか、それが今でも同じように生き続けているのかどうか、それを考えることが必要なのではないかと思う。

教育の重要性を最も認識していた国であったこと、食べ物や自然の尊さを自然に感じる文化が存在したこと、人々が広く社会全体を想う精神を持っていたこと、それらは日本の繁栄にどれほど関わっていたのか。それらのことが少し変わってきた今、日本は再び同じように経済成長を続ける国と成りうるのか。

最近そんなことをつと思うようになった。

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2005年09月07日

受信料関連の最近の動きを見て

まあはっきり言って、u-Japan計画が2010年に達成されるならその時点でNHKの公共放送としての役割って8割方終わるわけだし、いい加減すごい勢いで縮小しないと一気に大惨事になるんじゃないですか。

基本的に地上デジタル放送はどうあがいても現在の地上波並みの普及には至らなくなる。今、難視聴世帯にはFTTHで補完するとかいった話があるけれども、別に地上波のチャンネル持ってない事業者がIP放送で参入することはいくらでもできるわけだし、今の地上波放送という利権構造は当然崩れてくる。

今、ライブドアは別としてもUSENやスペースシャワーネットワークなんかの株価が上がってきていたりするのもその辺の絡みもあるでしょう。いちいち巨大な放送事業者に乗っかる必要もなくなれば収益性だってあがるわけで、そこに入り込んでくる事業者がたくさん出てくる。

そうやってIP放送のほうが拡大してくれば地上波なんて別にいらないって話で、アメリカでCATVが主流になったのと似たようで更に鋭い変化の時代になる。

その時、運悪く地上波はデジタルに移行しようなんて話を進めてて、いまさら退くに退けないような状態になり、そこで客をごっそり持って行かれることは確定事項でしょう。地上波デジタルの普及自体が既にありえないということ。

当然、NHKは現在の巨大な収入源をもの凄い勢いで奪われることになるわけで、その先を想定して組織の縮小、収入源の多様化を計らなければもの凄い勢いで潰れる。

今それがあまり言われていないのは、u-Japan計画自体が世間にあまり現実的に受け取られていないという面があり、その背景にはテレビ局やそれに繋がる新聞社なんかは利権が絡んでいるためにあまりあからさまにu-Japan計画が示す先を語りたがらないという面もあるだろう。

既に高速、常時接続でインターネットを大いに利用している我々にとっては明らかな地上波テレビの衰退だが、そうでない人々にとっては現在のテレビがほんの10年も経たないうちに主流でなくなるなどとは想像も及ばない。当たり前のようにNHKは必要不可欠なものであり続けると思っている。


もう一つ、今の受信料制度がNHKの公共放送としての役割を逆に貶めているという面。仮に受信料の徴収が法に基づいて完全に徹底された場合、受信料の支払いをしたくないからテレビを設置しない、という人間が現れるのは目に見えている。そうなるとそれは公共的な役割を担う存在としては完全に不適格だ。

それを考えれば、近いうちに放送法の廃止あるいは大幅に変えるという必要性に直面する。政治やNHKがそれをしようとしなくてもまあ誰かが言い出すだろう。NHKはとっとと組織を縮小したり新たな広告禁止条項を消すように働きかけるとかしないと本気で従業員もろとも崩壊するぞ。

投稿者 so-go : 20:11 | コメント (0) | トラックバック

2005年08月30日

頭痛

なんか知らんが「憲法を変えていいんですかっ!」みたいに熱くなってる方々とかがいて、それを聴いてそうだそうだと言っている人々が居たりして頭が痛い。

誰が変えちゃいけないって言ったんだよ。何のために94条とかがあるのよ。ここまで憲法を一切変えない国のほうがよほど珍しいっちゅうねん。

だいたい連中は世論調査とかも出てるのに「国民が望んでいるのはこういう政治だ」とか勝手に決めつけやがったりとか無茶苦茶なことを言って、あまつさえ国会でもそう主張したりするようななかなかおかしな奴らなんでしょうがないんだろうけども。

郵政にしたってあの参院での審議で、多くの議員が国民が望んでいないから反対だと主張していたんだから、もし選挙を通じて国民が望んでいるとわかったら参院の採決結果だって変わって然るべきで、また採決しても同じ結果になると吹聴するというのはおかしくないか。

奴らの広報活動のせいで憲法を変えるなんてとんでもないと思っている人々が量産され、非常に迷惑なわけですよ。共産党なんぞ自分のとこで新憲法草案を持ってるくせに9条を守れとかぬかすし。その草案では9条よりも緩和されてるじゃないか。現実見えてるくせに議席争いのために風見鶏的な主張をしおって。

民主党だってよほど変な政策出さなけりゃ投票するっつーのよ。政権交代して欲しいんだから。自民党と同じような政権公約出したら多少は目を瞑ってでも民主党に投票する。国民主権を崩そうとしたりとか不払いの人にも年金を支給するとか高速道路の負担を利用者から国民全体に転嫁しようとしたりとかそういうふざけたことを言わないで普通にやれよと。そうしたら自民党切れるんだから。

民主党なんて政権が欲しいあまりに毛色の変わった政策を出して人気取ろうとしてるだけなんだろうけど、一番の間違いは国民が馬鹿ばっかりだと思ってるとこじゃないのか。真剣に考えれば考えるほど政策がおかしいと思える人が多いように思う。だから衆院では勢力取らせたくない。参院では自民党への牽制として民主党に入れる。きっちりそういう風にバランスを取ろうとしている有権者はたくさん居るはずだ。

もう何書いてるのか自分でもよくわからない。

投稿者 so-go : 07:52 | コメント (0) | トラックバック

2005年08月26日

国会議員と選挙区

最近何となく思っていることだが、国会議員は選挙区の利益を代表するというのは構わないけれど、だから利益誘導は正しいのだというロジックはどうなのかと。

公共事業やら助成金というのは国家の財力によって全体のパイが決まるわけであるが、はっきり言ってただ奪い合っていてはそれぞれの地域を全て豊かにすることなど出来ようもない程度にその量は少ない。国家の経済に効率的に寄与する分配が必須なのである。

であれば、各地方はその投資が国家経済に十分寄与することを証明し、それがぶつかり合った結果、国家全体として効率的な予算が組まれるのでなくてはならない。

ただ人に分け与えるには少ないかも知れないが、経済を良くするために使うには十分すぎるほどの量はあるのである。そうやって全体のパイがやがて広がっていき、結果的にそれぞれの地域も豊かになることが出来るということであり、そうでなくてはただの一時しのぎであり、安定した豊かさは得られない。

均衡ある発展などというが、結局のところは均衡ある発展はある市場原理の中で達成されるべきものであって、貧しいから均衡のために金を寄越せというのでは均衡ある衰退へと陥りかねない。

単なる利益誘導ではなく、その地域が日本のなかでどういう役割を担うことができるのか、そのために必要な投資を国家から呼び込むための地域の代表者であるならばそれはそれで素晴らしいわけで、そのために地方になじむことが必要というのならわかる。

国会議員には単なる利益誘導が正しいなどという稚拙で短絡的な考え方に陥ることのないようにしてもらわなければ困る。もちろんそれは全ての有権者に対してもそうであるわけだが。

投稿者 so-go : 19:18 | コメント (0) | トラックバック

2005年08月24日

台風

もうちょい右、いやいやもっと右だって
ぶつかるって
危ないから
急いで急いではやく

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2005年08月20日

何が大事かって

今の政治の中で何をどうするのかいろいろ議論はあるけれども、各論になるともう当初の目標を見失っていたりというのはよくあることで、戻ってくるべき立ち位置を把握しておかないと漂流してしまう。

行政改革関連の話で言うと、いま何のためにあれこれやろうとしているのかを考えれば、それは結局のところ金の問題なのである。金があれば改革なんぞする理由も必要もなくなるという話であって、理念云々はあくまでその再構築段階での指針をつくる補助的な要素でしかない。

郵政で言えば、公社のままと民営化とを比べたとき、それが経済及び財政に与える影響というものを端においてどちらがサービスがいいだとか職員にとっていいとか言うのは片手落ちもいいところなのだ。それらを秤にかけた上でどちらが良いのかという議論でなくては意味がない。民営化反対なら反対できっちりそれらの要素を全てテーブルに載せた上で主張をしてもらわなくては全く聴くに堪えない主張にしかならない。

農業にしろ医療にしろ改革のデメリットを並べるのは簡単で、確かにいろいろと問題がある。しかしそれと財政の負担とを考慮に入れた上で改革の是非、方向性が出てこなくてはならないわけで、まずお金の問題であり、それが改革の目的であるというところを見失わないでもらいたいと思う。

投稿者 so-go : 23:47 | コメント (0) | トラックバック

2005年08月16日

案外自然に進んでいるメディアリテラシーの浸透

ここにきて、総選挙を迎えるに当たって、マスメディアを通じて得た情報に対して、それを自らの元で検証して立ち位置を決めるという人がかなり増えてきているということを感じる。

実際のところ、マスメディアは多かれ少なかれ世論を操作しようとする。そして今までずっと大多数の人々はそれに操られてきた。戦時中にあった情報統制の主体が軍からメディア自身に移ったことでそれが公平中立のものであると錯覚させられてきた。

マスメディアの情報量は膨大なように見えて、実はかなり圧縮され、ディテールが極端に損なわれている。その際に必要な情報とそうでない情報という仕分けが、情報を正しく伝える為ではなく、各メディアの世論操作の目標に従って行われているということがあり、我々は正しい情報を偏りなく得ることは出来なかった。

インターネットが、伝達できる情報の量を無制限にしたことでどこかで誰かがマスメディアによって省かれた情報を手に入れてくる。その情報は各個人の営利に依らない伝達によって広まり、人々によって重要性、正確性が量られる。

そのインターネットの普及が、それによってより正しく情報を得た人々を各個人の属するコミュニティに送り込むことになり、結果的にそれぞれの会社、学校、各団体の中へもマスメディアだけに依存しない情報を届けることになる。

未だにインターネットがそれほど完全に普及しているわけでもないし十分に活用されているわけでもないが、ラストワンマイルの情報伝達が口コミによって行われることが出来る程度には普及してきている。情報化社会の恩恵という点では、インターネットの普及率以上に大きな影響を与えていると言える。

これらの流れが、マスメディアへの懐疑というものを生み、マスメディア信仰の度合いは以前に比べれば格段に低くなってきた。若者を中心に各個人が自分自身の意見をこそ重要視するようになってきたのはこのことが関係しているだろう。

意外にもメディアリテラシーの浸透は教育改革だとか市民運動のようなムーブメントに依らずに社会の変化の中で自然に起こっている。いちいちマスコミの罠だなんだと声を上げずとも大丈夫なのだということで、割といい状態に来ているのではないかと感じる。

投稿者 so-go : 19:14 | コメント (0) | トラックバック

2005年08月11日

総選挙

今回また小泉自民党のやり方はうまいなあと感じる。自民党で対立軸をつくって、民主党を蚊帳の外にする。民主党はそれを恐れて、今回郵政はそこまで重要ではないと強調する。

しかし既にこの選挙では郵政が争点となることは確定済みなわけで、民主党が郵政以外のほうへ逃げようとすればするほど、民主党は熱心ではないのだということになり、ますます辛い。

今回の解散について、利権絡みの政治家を切ったという決断は褒められるが、そもそもこれはかなり前の段階からこれが可能な状況を作り上げるためにいろいろとやってきたわけで、決して暴走的な行為ではないということは心に留めておかねばなるまい。

というのは、やはり自民党はそれぞれの候補者、特に利権の絡んだ政治家が強力な支持基盤を持っていたからこそ選挙で勝ってきたわけで、いきなりそれらの候補者を切ったら勝てるわけがない。むしろ余計な一大勢力になってますます利権政治に拍車がかかる可能性すら高い。

だから森~小泉の間に利権絡みの人間を切っても選挙で戦える状況を作ってきた。同時に、利権派が勝てないように仕向けてきた。森はまだ時期尚早と考え、小泉は今でも戦えるという判断の違いはあるにせよ、彼らは自民党を本当に変えようとしてきたということだと思う。

それが見えてきた現在、国民からすれば特に民主党を選択する理由のうちの大きな要素が消え去ることになるわけで、民主党がろくに具体的政策を作れない現状でまともな勝負になりようもない。よほど今回の騒ぎを表面的にしか見ない有権者ばかりならば民主党の躍進もあるだろうが、有権者はそこまで考え無しではない。

もっと重要なことがある、とは民主党の言であるが、最も重要と思われる外交においてかなりの手腕を発揮してきた現政権へ不満が噴出することがあり得るだろうか。経済について、民主党に変わった方が良くなると思える人がどれほどいるだろうか。

今回、現状から判断すると自民・公明は過半数をとる可能性は高い。とれなくとも民主党の一部から自民党へ合流する動きが出てくるだろう。少なくない数の利権政治家を切り飛ばしたあとにどのような政治になっていくのか、実に楽しみなところだ。

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2005年08月06日

郵政民営化法案に関して

なんかえらいことになってるみたいなんで一言くらい触れておきます。

票読みでは可決は難しいという話ですが、この法案の趣旨から言うと民主党が一枚岩で反対ってのがそもそもおかしいと思うわけで。単に政権の行方だけでこういった法案への賛否が決まってしまうというのは実に気持ち悪い。

だから民主党若手あたりで造反の動きが起きて可決、小泉が自民党の造反議員を処分ってな流れがわりといい感じなのではないかと思うが、公明党を後退させるチャンスであるこの時期の選挙というのも悪くはない。しかしそっちは別に、どうせ再編が起きて保守統合になるなら公明党はどうせお払い箱になる可能性も高いわけで、喫緊の課題ではない。やはりこの法案は民主党議員の造反で可決してもらいたい。どうせなら鳩山氏あたりが造反しないかな。しないか。

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2005年08月02日

都心部の今後の住宅事情について

最近、特に都心部ではマンションが建設ラッシュになっており、供給量はかなり増えてきている。今のところ、需要もそれなりにあり問題ないわけだが、ここ最近になって建てれば売れる、貸せるといった状況にやや変化が見られる。

個別の物件ごとに見ると、専有面積が少なめで、分譲価格や賃料を抑えながらも生活に不自由しないような優秀な間取り設計のマンションについては未だに飛ぶように売れている。しかし、いたずらに高級マンションを謳い、面積ばかり広くて、間取りの設計が詰められていないような物件については売れ行きはかなり怪しいといった状態になってきている。特に三井不●産系のマンションはあまりにも売れてなさすぎで哀しい雰囲気が漂っている。

建設ラッシュは2007年頃まで続くようで、それまで住宅の供給量は増え続けるが、一方でその時期、団塊世代の退職ラッシュが重なってくる。

都心に住んでいた退職者のうちいくらかは地方都市などへ移っていく動きがあるという。そりゃそうだ。会社勤めの必要がなければ居住地域の選択肢は大きく広がるのだから、よりコストパフォーマンスの高い地域へと移り住んでいくことは自然である。

すると2007年以降、住宅の供給がだぶついてくる可能性は高いと思う。多くの人が、今が買い時とばかりに安くなったマンションに手を出しているが、まだまだ価格は下がっていくのではないだろうか。これを機に日本の住居費も安く落ち着いてくるようになるのだろうか。

投稿者 so-go : 18:47 | コメント (0) | トラックバック

2005年08月01日

新しい歴史教科書

とりあえずざっと読んでみる。書籍としてなかなか面白かった。自分は特に歴史に関しての知識は多くないほうなので、評価などを出来る立場にはないが、一般人として感想を述べておく。

全体のバランスで言うと、近現代史については実に見事なものだと思うが、特に中世以前については考古学的論証に多くを割かず、伝承を紹介する記述が多すぎると言うほど多いのが気になった。これについてはちょっと教科書としてはどうなのかと疑問がある。もっと全体にボリュームがあるならばこれはこれで構わないのだが。

検定後であるということもあるのかも知れないが、特に別段おかしな記述がなされているとも思わず。確かに客観性を欠いて主観的ではないかと思われる部分が一般的な教科書に比べて多く見られるが、それとて特に日本を過大評価したり美化したりというほどではない。事実に基づいた記述がなされていると思う。

しかしまあ、大の大人が読んでまともな本であるにしろ、多少文章が乱雑だったりする部分があり、評価が低くなるのは仕方ないのかなあという気もする。とはいえ教育現場での使用に堪えないようなものではないだろう。十分に教科書としての役割を果たすのではないか。

戦争が起こったり、激化した背景などは我々は教育課程ではほとんど学習していなかったことを知る。それらをまともに取り上げているというところはこの教科書のいいところだと思う。既に教育課程で歴史の学習を終えた人も軽く目を通しておいてほしい本だ。

投稿者 so-go : 15:44 | コメント (0) | トラックバック

2005年07月24日

大学

今年入った通信制大学の授業で、経済学を教えている講師がマルクス信者で共産党シンパという不幸がありつつ、一応名のある大学でこういう授業が許されているのはどうなのかと考える。

然るに、大学生の学力低下とかいろいろ言われているが、実際のところ大学自体の質があまり良くないというところに問題があるのではないかという気がしてくるわけだ。

実際のところ、未だに経済学部でマルクスを基礎として教えている学校は多いと聞く。そう聞いたときは「いやいやまさかそんな」と思っていたけれども、実際に目の当たりにするとこりゃ事態は深刻なんじゃないかという気がしてくる。大学がこんなことでは日本はまずいだろう。

投稿者 so-go : 15:52 | コメント (0) | トラックバック

2005年07月10日

こばやし

同僚からの話だが、中国人の知人となぜかドラゴンボールの話になり、大体の話は通じたのだが、その知人が「こばやし」という登場キャラについて語っていたという。そんなキャラには全く覚えがなく、誰のことを言っているのかわからなかったのだがそれはクリリンのことだったとわかったらしい。クリリンは中国版では「小林」という名前だそうで、その中国人は日本では「こばやし」なのだと信じて疑わなかったようだ。

投稿者 so-go : 16:02 | コメント (0) | トラックバック

2005年06月07日

健康

福沢諭吉は健康と金が大事だという。特に健康は金の100倍も1000倍も大事だと。

健康であり体力があることが全ての行動の基礎となり、活力を与える。だから不摂生や怠惰などは特に良くないことだという。

福沢諭吉はかなりマメなほうで日常からあらゆる労を厭わなかった。そのことが丈夫な体をつくり、いつでも勉強をしたり行動する基盤となっていった。勉強をしなければならないからとろくに動かない生活をするようなことは本末転倒、勉強できるための基礎が衰え、結果として駄目になってしまうわけだ。普段から労を厭わないからこそ、英語を修得するという重大な決断もできた。

体は徐々に変わっていくものだから、多少の不摂生や怠惰で弱っていっていることになかなか気がつかない。そこは意識的に生活していかないといけない。

投稿者 so-go : 16:39 | コメント (0) | トラックバック

2005年05月16日

人生観が変わった明言

http://news19.2ch.net/test/read.cgi/news/1116168005/

スレタイの漢字が間違ってるのはまあ気にしないでおくとして、なかなか面白いスレです。おなかいっぱい。

なんでもない言葉が、人によって、あるいは状況によって大きな意味を持つことがあるもので、ふとした瞬間に何か根元的なものに気付かされたりするもの。そういうところを踏まえて、それぞれの言葉がどのように個人個人に作用したのか考えると意義深く読めますな。

投稿者 so-go : 21:40 | コメント (0) | トラックバック

2005年04月30日

ネオ丸ごと

http://www.neosoft.co.jp/

なんだこれ。名前はマーガリンだしロゴはまるっきりアレだしギャグかと思ったら実在の会社っぽい。

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2005年04月29日

みどりの日

暑い。まだ4月だと言うのに最高気温28度という夏の陽気。つい3週間前くらいに雪降ってたじゃねーか。ちょっとその気温分けてやれよ。こんな日はその他の雑酒②でも飲みながら・・・ってその他の雑酒②ってなんだ。発泡酒じゃないのか。明らかに発泡してるじゃないか。

今日はみどりの日。俺が幼稚園にいた頃は天皇誕生日だったが、これを昭和の日にしようなんてふざけたことを言っている連中がいる。

別に昭和の日が欲しいと思うのも、昭和の日としてこの日が適当なのもわかるが、あの団体はどういう集まりかというと、結局のところみどりの日などどうでもいいと思っている連中なのである。

みどりの日、いわゆるグリーンデイであるが、祝日法では「自然にしたしむとともにその恩恵に感謝し、豊かな心をはぐくむ」という趣旨であると定められている。なぜこの日がみどりの日になったのかというと、昭和天皇は大変自然を愛され、その精神をみどりの日として国民は等しく受け継いでいくわけである。古来より日本という国は自然と共生して、利用して、愛してきた民族である。みどりの日というのはそれを思い起こさせてくれる素晴らしい日だ。

昭和の日、なんてなんとセンスのない。みどりの日、という日は昭和天皇の誕生日でした、というのがちょっとおしゃれな感じでいいんじゃねーか。みどりの日は5月4日でいいとかそんなわけねーだろ。昭和天皇にちなんでるからみどりの日に重みが出てくるんだろうが。日本の象徴である天皇が自然を愛していたというそのことを思わせることに意味がないと思ってるのか。そうでないにしろ軽んじすぎだろ。みどりの日をなめてるのか。

もし昭和の日を作りたかったら昭和時代が始まった12月25日にでもしておけ。その代わりぜんぜん誰も祝ってくれない日になること請け合いだが国民の間では大歓迎だろう。しかも12月24日が国民の休日になる。素晴らしい。

その他の雑酒②というのはなかなかうまいものだ。暑いからか。

投稿者 so-go : 13:58 | コメント (0) | トラックバック

2005年04月03日

メモ

消費者の5つの責任
1.批判的意識
2.自己主張と行動
3.社会的関心
4.環境への自覚
5.連帯

投稿者 so-go : 16:13 | コメント (0) | トラックバック

2005年04月02日

環境ホルモン

ニュー速+経由 幻影随想さんhttp://blackshadow.seesaa.net/article/1481285.html

もし環境ホルモンについて少なからず関心があるならば一度は読んでおきたい記事。

まあ得てして世の中にはこんなミスリードが起こったりするものだ。それはきっと天然のものは安全であるみたいな幻想であったり、特別な物質が増えてくるとそれは廃棄物的な化学物質であるというイメージであったり、多くの物質は様々な生物にとって、量が少なければ安全で量が多ければ危険であるという当たり前のことがわからないというような無知であったり、人間の性質としてよりエキサイティングな結論を好み、それを望むという部分があること等が作用して起こることなのだろう。

もちろんわかっている人はわかっている。そして当たり前のことだと思っている。が、案外世間はそうではない。この情報化社会にあって科学的思考の基本すら身に付いていない人が普通に主張をしたり議論に加わったり意志決定をしている。教育の退廃がこの傾向に拍車をかけたら非常にイヤーな世の中になること請け合いである。

そしてまあこんな気色悪いニュースが出てきたりとか。
「バッテリーロング」に公取委が注意
この商売が成り立っているという気味の悪さもあるけど、この営業部長ももうちょっとなんか話をでっち上げるなりしろよという。

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2005年03月29日

フジテレビの件

これはあれか。ライブドアがニッポン放送を手に入れたあと、ソフトバンクが1500億くらいでニッポン放送からフジ株買いますよって話か。どう見ても準備万端だし。

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2005年03月24日

量は質を担保する

能力のあるなしを、仕事に対する技術の高さ、知識、判断力の高さでよく判断したりする。しかし、それらが相対的に低かったとしても多く働けばそれだけ生産性が高まる。ハードワークに慣れた人間は、最も使える。

同じようなことで、記憶力の高くない人は、記憶力の高い人よりも覚えるのは大変だが、より多く繰り返して記憶すれば覚えられないことなどない。整理整頓が苦手な人も、時間と手間をかけてやれば、誰であっても見事にきれいに整理整頓できる。

なんにせよとにかく時間と手間をかけることを惜しまなければ、効率を上げずとも生産性を高めることができる。効率の高さに対して十分に対抗することができる。多くの人がさほど時間と労力をかけずに生きている今だから、量で勝負することは合理的なことではないだろうか。

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2005年03月21日

これは呆れるってば

松下のD-snap audioの広告

身につけても違和感が無くスマートな感じでなくてはならないのに、思いっきり前面にドーンと押し出して存在感ありまくりだ。完全にアホである。なんかさりげなく1GBのSDカードを文字が見えるように配置してるし。そんな機能をアピールするのはインプレッション広告には必要ない。そんなもんはあとでいい。

iPod miniやShuffleの広告を見れば、それは体の一部であるという主張が瞬間にわかる。興味を持った人々は、電気屋の店頭やらで詳しく知りたがる。それでいい。松下は所詮コンセプトが弱く、製造業の発想しかできないようなメーカーという面を持っているのだろうか。製品自体はだいたい良質だし、開発力が高いこともわかるのでものすごくもったいないように思う。

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俺はよくわからんのだけど

楽天の藤崎投手の娘の名前は詩織っていうらしいですよ。

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2005年03月10日

冷やし中華

昨日はとても暖かかったが、こんな時期だというのにセブンイレブンには冷やし中華が並んでいた。この機敏がセブンイレブンの真骨頂。

多くの小売店は、そこそこ真面目に常識的な経営をしている。しかし、セブンイレブンの、いわゆるデータ経営は常識を打ち破って、奇をてらったかのような結論を導き出す場合がある。

この時期でも、気温や天候などの条件が合えば冷やし中華が飛ぶように売れる。冬でもアイスクリームがたくさん売れる日もあるし、夏でもおでんが売れる日もある。それをみごとに活かすのがセブンイレブンの凄みであり、圧倒的に最高の顧客満足度と客単価を誇る大きな要素だろう。

セブンイレブンはスケールメリットのみで勝っているかのような誤解を受けている場合も多いが、ローソンやファミリーマートが決して真似できないのはその部分ではない。

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2005年03月07日

現在

過去を振り返ったり、未来を考えると、その大きさに圧倒されて頭はいっぱいになる。それに対して何かを成そうとするよりもそこに何があるのかを膨大な時空の中から探し始めてしまう。そして、今この瞬間に何をしているのか、何をすればいいのかということはとても小さなことのように思えて、置き去りにしてしまう。

過去や未来に囚われる、というと陳腐な言い回しだが、実際に現在にフォーカスしようと絶えず気をつけていなければ、現在は限りなく空虚になっていく。今、自分が耕すことの出来る畑は現在の部分だけであって、それ以上のことは出来ないし、また、他の部分を誰かがやってくれるわけでもない。

過去よりも未来を見るというが、現在を盲点にしがちな癖がついたようならば、未来よりも現在をより見るように努力しなければ、未来などただの想像上の世界に過ぎなくなってしまう。

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2005年02月27日

社会的本能の低下

最近は他人に迷惑をかけることを何とも思わない人が増えたという。実際にそのように感じるし、多くの人が同じように感じているようでもある。

それは単なる風潮の変遷ということではないように思う。最近の社会の変化は激しくなってきていて、例えば少子化であったり、詐欺犯罪の増加であったり、グローバル化、晩婚化、離婚増、デフレ、様々な現象が一連の流れの中にあり、それぞれは個別の現象ではないのだと考えている。

個人個人が判断基準として一定の経済的合理性を持っている以上、利己的で、他人の不利益を顧みないというのはある意味当たり前のことであるのだが、人間の、とくに日本人のルーツである民族の性質として、社会的本能の高度な成熟があった。

例えば、A、Bと2つの選択肢があったとして、Aは個別の行動として最大利益をもたらす選択であると考える。これを選ぶのは現在常識とされる経済学において当然の行為である。しかし、社会的本能は別の選択をもたらす。Bは、個別の行動としては不利益ではあるが、その社会単位に属する全員が同一の行動を取ったと仮定した場合において利益をもたらす選択であるとする。これまでの日本人の多くはBを選択してきたということだ。社会全体から見ればBを選ぶことがより全体の利益の合計は多くなる。この行動をさせるのが社会的本能であり、人間の持つ特徴的な部分だ。

それを選択できるのは空間的および時間的に広く状況を把握し、予測する能力が人間に備わっているからである。それが出来ない人間ももちろんいて、その人々は自分勝手であったり犯罪を行ったりするわけだ。

その中で、歪みが生じてくる。全体の大部分がBの行動をとっている場合に、一人だけがAの行動をとると、全体がAの行動をとる場合よりもはるかに大きな利益となり、それがよりAの方向へ傾倒させしめる。そして、Bの行動はAの存在が必ずあるという状況を織り込むと、相対的に社会全体の利益へ繋がるとは限らなくなる。やがてBがAへと擦り寄っていく。

全体がAであるか、全体がBであるかの場合は、それぞれ合理性のある効率社会であるが、その中間、一部はAで一部はBという状態の場合、それは効率的な社会ではないわけで、今の日本が直面しているのはその状態なのだ。

さまざまな現象が、Bの行動を標準とする一定のコンセンサスの中から逸脱しだしたAの行動によって起こっている。大部分がBであるために、Aの利益がより巨大化するため、極端に他人の迷惑を顧みない行動に合理性が生まれるのである。

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2005年02月20日

勝ち負け

なんかライブドアの勝ちとか負けとかいろいろ憶測が語られているが、今ひとつその基準がはっきりしていないのでよくわからない議論になっている。


まずライブドアがニッポン放送の株式50%超を取得できるかどうか。これは、とりあえず適当に検証してみるとライブドアがニッポン放送株の約38%を取得した時点で現預金は440~460億円ほどは残っていたであろうと推測される。このうちフジテレビ株の取得に60億円程度を費やしているが、まあ金額的にはニッポン放送の買収に成功するには十分であり、この買収はとりあえず成功するだろう。

で、その後どうするのか。フジテレビがニッポン放送株の25%以上を取得するとすれば、フジテレビへの議決権が無効になり、また、ニッポン放送は上場廃止基準に抵触することになる。しかしフジテレビはニッポン放送の議決権を無効にする前に外資の出資比率を引き下げないと放送事業免許が取り消しになるため、何らかの手を打つ必要がある。フジテレビ側にとっては株の取得およびこの対策にかかる金額は無駄金として少なくない出費だ。

また、ポニーキャニオンへのコンテンツ提供を停止すると言っても、ニッポン放送は扶桑社、ディノスの株式も多く保有しており、グループへの影響力を完全に排除するのは相当に困難だ。そりゃもともと親会社なんだから当たり前の話である。

グループ企業を切り捨てるとなれば、フジテレビの業績への影響は避けられない。というか、黒字の企業を無償で、あるいはさらに株を買い増した上で切り捨てるなどはっきり言って馬鹿げている。フジテレビの経営陣は利益と資産を犠牲にしても自分の身を守るためにこれらの対策を取っているということで、これは背任行為である。

もしその上でその防衛策がうまく行ったからと言って、フジテレビの勝ちかと言えば、資産と利益を削り取られているわけだからなんとも言えない。基本的にフジテレビの完全な勝ちというシナリオはどこにも存在しないのだ。あるとすればライブドアとの友好的な業務提携を結んだときだけである。

で、ライブドアはフジテレビ本体まで支配することが出来るのか。これは微妙なところだが、ニッポン放送の含み資産を考えればフジテレビを買収することは可能だろうし、議決権を復活させる方法などいくらでもある。ただ、ライブドアの負債を考えるとそこまで手が伸びるかどうかは微妙なところかも知れない。とりあえず1~2年はその段階で手打ちというのは考えられる。

また、結局フジテレビを買収出来た場合も、産経新聞や扶桑社、ディノス等フジサンケイグループをそのまま支配することが出来るかどうかもわからない。切り分けられている可能性はある。そして、業務提携の結果、投資した金額を全て回収することが出来るのかどうかもわからない。

両方とも、勝ちというのは非常に難しく、互いに悪い結果になるという可能性が高いと思える。そして得をするのはリーマンとニッポン放送の既存株主くらいのものということか。

投稿者 so-go : 06:56 | コメント (0) | トラックバック

2005年02月12日

ライブドアとフジテレビについてとりあえず

なんかライブドアとフジテレビの対立みたいになっているけども、実際にはライブドアが今後間違えなければ、フジテレビはライブドアの手中に落ちている状態であると思われる。

ライブドアがニッポン放送株の過半を獲得するメドが立っているとして、もしフジテレビがニッポン放送株の25%を確保してももはや手遅れであり、フジテレビは完全に対応を誤ったといっていいだろう。実際にはフジテレビにとってはすでにライブドアの手中に落ちたことを認め、提携に応じる、あるいはかなりの綱渡りではあるが、ニッポン放送株の3分の1以上を確保するという道しかなかった。

ライブドアにとっては、フジテレビがニッポン放送株の25%を確保できなければそれまでだし、仮に確保されたとしても、フジテレビの保有率が3分の1にまでは程遠いし村上ファンドと組んでいるのであろうから、ニッポン放送をライブドアに吸収合併させてしまえば済む話で、そうなればフジテレビがライブドア株の25%を確保するというのは相当な困難を要するであろうし、ましてやそれを確保しても手放せず、しかもライブドアになんらのダメージを与えない、さらにライブドアが増資をする度に買い増さなくてはならないというのではやっていられない。

フジテレビは外資に買収されないという特性のおかげでいわゆる「アメリカ型」の買収攻勢を受けずに済んでいただけであり、いかにもまぬけというほかはないのである。

・・・というようなことは全く考えておりません。まあ大変でございますねははははは。

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2005年01月25日

いい人生に向けての考察

例えば自分が、たくさん給料はもらっているけどずっと働きづめで大変な毎日を過ごしている人を見て、あんな生活はしたくないなと思うという、それは別に間違ってはいない。

でも、自分とその人はどちらが幸せに過ごしているかなんてわからないもので、もし全く同じような生活をしていても幸せをより感じる人と苦しみをより感じる人はいて、しかもその差というのは実はかなりの差であると思う。自分でも大変なことも苦もなくこなせることもあれば、大したことでもないのにもの凄く苦痛を伴うこともあるのだから、人によっても感じ方に差があるのは当然のことだろう。

じゃあ、自分が幸せに生きるためにはどうしたらいいのか。その差は差として自分は自分で頑張っていけばいいというのは、どうも釈然としない。どこかに違いがあって感じ方に差が出てくるのだから、その違いに対して働きかけることが必要なことのはずだ。

財産もあって仕事も楽で、才能も豊かで、いい結婚をしたような人の中でもあまり幸せを感じない人もいるだろうし、金もなく仕事は大変で、能力に劣る人でも、最大級の幸せを感じながら生きている人もいるだろう。そしてそれは、もちろん生物としての個体差はあるのだろうが、恐らく大部分は生まれつきの違いではないという感じがする。

メンタル・トレーニングというのがあるが、あれは例えば、朝起きたときに「よく寝たなあ」、食事のときは「おいしそう」「おいしい」「おいしかった」、寝る前には「いい一日だった」という思考を積極的にすることで、より幸福感を得ることが出来る。そんなことで幸福度合いが変わるのであれば、もっともっといくらでもいい人生へのアプローチとしては近道が存在するに違いないわけだ。

多くの人が、自分の人生を良くするために頑張っている。しかしその影で、置き去りになっているかなり重要な何かがある。そこをみんな通り越して勉学や勤労に励んでいるのではないかという気がしている。自分はそこを見逃さないつもりで生きていきたい。

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2005年01月24日

ライブドアのネット銀行について

ライブドアがネット銀行を設立することの意味は何か。もちろん、それなりの使い道があっての銀行設立なわけだが、それはライブドアにどれほどの利益をもたらすのか。

当然、自前の決済銀行としてライブドアの各サービスの利用料、物販やファイナンスのキャッシュの流れを取り込むことが出来るため、うまく運用すればコスト、キャッシュフローの面でこれまでより大きな改善を図ることが出来るようになる。

ライブドアデパートが目標とする規模からすると、年間数千億円のキャッシュの流れができる。また、ビットキャッシュ、ウェブキャッシング、証券、FX等でも大きなキャッシュが流れる。これらのサービスはすでに国内で大手と呼べる規模に達しており、それらとの連携によって、新規預金をある程度集めることが出来るという目算は立つ。

また、無担保融資の分野では、ライブドアの擁するM&A、出資の仲介業務、弥生の会計サポート業務、あるいは、ライブドアデパートの出店といったところに関連して貸し付けを行うことで、収益を上げることが出来るだろう。

逆に、この新銀行で、振込手数料無料などのアピールを行うことで預金者が集まれば、新銀行での決済を行う各サービスへ利用者を引き込むことが出来る。

西京銀行は通常の銀行業務はもちろん、ネットバンキングについてのノウハウも持っている。ライブドアのいつもの手法だが、小さな買い物でライブドアという母体を利用して成長させて事業を拡大し、利益を上げていくというやり方が今回も現れているのだと思う。

トラックバック先:
ライブドアが西京銀行と共同出資でネット銀行
ライブドア、西京銀行とインターネット専業銀行設立構想
西京銀行とインターネット専業銀行設立構想に関する合意

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2005年01月22日

朝日新聞vsNHK

この問題、両方ともやばそうな気がするんだけども、なんかNHKのほうが一枚上手ではある。自民党が裏から手を引いてたりして。

はっきり言って、あべしと中川氏が言っているように、「放送法に則り、公平・公正にお願いします」「あくまでも放送法に基づき、公平公正、不偏不党という大原則でやるべきではないですか。是非法律の趣旨を守っていただきたい」ということをNHKに言っているのは確かなわけだから、そりゃ自民党幹部と大臣にこんなこと言われたら圧力と感じるでしょうよ。というか間違いなく圧力でしょう。実際に長く喋ってりゃぽろっと「圧力と感じることもあるよ」なんて言ってしまうでしょう。

しかし、それを根拠に大々的に自民党がらみのスキャンダル記事にしてしまう朝日新聞の感覚。こりゃ飛躍しすぎじゃないのかね。んで、最大の問題なのがこの取材手法。何してもいいから言葉一つ絞り出してそれを拡大して記事にしてしまう。あまりにえげつないんで根拠となる対外的証拠は出てこない。勝手に録音して、その内容が誘導尋問のようだというのではこれは絶対に表に出せない。

恐らく、NHKが自民党の意向に従って番組の内容をいじっているのは事実だと感じるが、それを証明する手段を持たないまま報道してしまった朝日新聞、しかも敵は自民党というのはあまりにも分が悪い。

証拠となる物が絶対出てこないのをいいことに、じわじわと朝日新聞を追いつめるNHK。論点が完全に自民党とNHKの問題から朝日新聞の問題に移ってしまった。自民党-NHK関連で別のとこから話が出てくるか、自爆覚悟で朝日新聞が証拠を出すか。朝日新聞も虚偽の報道ではないということで、撤回して謝罪という流れにはどう考えてもなりにくい。

結局自民党-NHKの問題をうやむやにしたままになってしまうのであれば、これは良くない。一報道機関のクォリティの問題と、政治から報道への圧力の問題では次元が違う。まあたぶんまだ動きはあるでしょう。出来れば闇の部分が明らかになる流れになって欲しいのだが、他の報道機関はそっちの裏を取りには動かないのね。なんだかなあ。自民党が怖いかね。

感想としては、朝日新聞は焦ったな、という感じだろうか。いきなり突撃しても突破できるもんじゃない。

参考:論点が移っているという点で、こちらの記事がわかりやすい。

投稿者 so-go : 12:54 | コメント (0) | トラックバック

2005年01月18日

Edyの裏技

Edyというプリペイドシステムがある。最近はおさいふケータイなんていって使えてただ単に便利な電子マネーと思われているが、これを使ってちょっと得する裏技がある。これを聞いたとき、べつに得する金額は大したことはないけれども、けっこうびっくりした。

パソコン用のEdyリーダ/ライタがあるが、これはクレジットカードから入金することが出来る。そして、クレジットカードはだいたい1%とかポイントがつくようになっている。すると何が起こるかというと、クレジットカードでは支払いが出来ないけれどEdyでは支払いが出来る、というものについてもポイントをつけることが可能なのだ。

その代表が、公共料金だろう。ampmではEdyを使って電気、ガス、水道などの料金を支払うことができるが、クレジットカードは使えない。Edyにチャージしてから支払えば、実質これらの公共料金にもポイント還元がされるということだ。いいのかこれ。凄くないか。

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2005年01月17日

買い物について

一時的な出費というのもただ一瞬のメリットのために出費するのといくらかの期間にわたって効力を発揮する出費があるもんだと思う。

最近わりと時計とか財布とかちょっと長く使う物には1~2万円の出費くらいは惜しまなくなった。もっと安い物でも用は足りるので無駄遣いとも言えるけどもこの程度の出費で長く満足感を得られるなら別に安いもんじゃん、という感じ。

まあしかし、数万円というお金は大事だというのも事実なんで、当然慎重にはならないといけないけれども、安易に安い物ばかり買い求めてばかりいても、それで貯金に回しても、トータルで生活が良くなるかというとそうでもないと。ちゃんとそれだけの金額を使う意味があって、使ってよしと判断したら躊躇なく使えばいいし、それに慣れていないと金の使い方が下手くそになる。

今買おうと思っているのは靴とカーテン。靴はまあせいぜい4~5ヶ月くらいのもんなんでそんなに奢ることもないけど、でも2000円か5000円かで迷うようなもんでもなくて、そのくらいの出費なら迷わず良い物を選ぶべきだと。カーテンなんぞけっこう長く使うであろうから、安いのがあるといって飛びつくのではなく、まあ2~3万円くらいの高価なものでもこれがいいというものがあればいちいち我慢するもんでもないと思うわけだ。

食事なんぞは一日1000円も食費が違ったら年間365000円にもなるわけで、ケチったっていいような気がしている。まあそれもいずれ自分の状況が変われば判断も変わってくるだろう。

数十万円もする家具とかがばんばん売れているのも自分みたいな低所得者からするとわけわからんと思えたりもしたが、やっぱり年収700~800万くらいの庶民の人でもそのくらいなら躊躇しないで買った方がいいなと案外冷静に判断して買っているのかも知れないとも思った。

身の丈に合った買い物というのは、意外に安物ばかりではないんだろうな。

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2005年01月15日

儲けを志す時代

前に書いた記事で、団塊の世代が引退しても労働力の価値は高まらないかも知れないと書いたが、そう考えると今、やはり徐々にそういう時代に移行しつつあって、その中で事業家や投資家を目指す人が増えたりしているんだろうかとふと思った。

産業が高度に自動化された社会になれば、当然、これまでの産業革命などと同様にある資本家は大きな利潤を得ることになる。会社の創業者、あるいは投資家というのが最もいい立場で、労働者側はあまりいい立場とは言い難くなる。

その分岐点で、たとえ数百万円でも投資している人間と、全く投資していない人間の間に格差が生じる。また、預金貯蓄しか持たなかった人も、それを投資に回すことでなんとかいい立場に回れる。

資金を持たない人は、当然生きるために働き続けるが、相対的にその所得水準は下がるしかない。そしてしばらく資本家に搾取され続ける。

例え2010年とかそのくらいまでに時代が移らなくとも、そのうち移っていくのだから今のうちにその分岐点で上に行けるように準備をしておきたいものだ。周りを見れば、そっち側に興味のない人間ばかりなので案外行けそうだと思ったりもする。

投稿者 so-go : 21:57 | コメント (0) | トラックバック

何とかなる思考

普段気を抜くと怠け癖が出てきてしまうのだが、その時に、怠けてはいけない、頑張らなくてはという風に自分を鼓舞してもなかなか行動するのは難しいものだ。

それは多分、気分を上向きにしてから行動しようというプロセスに問題があるのではないかという気がしている。

どうすればいいかと言えば、手っ取り早く、とりあえずよほどの時でない限り脳が命令すれば体は動くのだと認識することだ。気分が上向かなくても、とりあえず体に命令を下して行動させてしまうのだ。このほうがプロセスが一段階短縮される。

そしてなぜかは知らないが、行動を始めると気分は上向きになっていることが多い。行動が気分を上向かせるために役立つ行動ならば、行動する前に気分を上向かせようというのは非効率的だ。とりあえず動けと命令すれば体は動く。その時の気分がどうあろうと、行動せよと体に指令を出していこう。

投稿者 so-go : 18:24 | コメント (0) | トラックバック

2005年01月13日

時代の変化の兆しを感じるか

2010年前後に団塊の世代が引退して労働力不足が起こるなどの予測が出ているが、それは決して我々現役の労働者世代の価値を高めることにならないかもしれない。

というのは、今マンパワーによって運営されているシステムというものが、コストの問題によって大きく変わってしまう可能性を秘めているからだ。

一時期、なんでもかんでもオートメーション化していった時期があったが、結局はマンパワーの有効な活用へと回帰していった。しかし、今後の5年間の間に、情報技術とコンピューティングパワーの進化によって多くの分野でマンパワーと機械のコスト面のクロスが起こりうるという事態にさしかかろうとしていると言える。

Googleが技術によってGoogle Newsという、マネージャー不在のサービスを実現したということは象徴的であるように思う。

事務や販売に於いても必要となるマンパワーが減り、より設備投資へと資金が向かっていくことが想像されるが、その時期は一般的には遙かに未来の話であるというのが大方の認識だろう。

しかし、経営者や資本家はコストに敏感である。コスト面のクロスが起こればすぐに大挙してその仕組みを導入し、利益を上げようとするだろう。そのタイミングとして、退職者が多く発生するこの時期は実にちょうど良いはずだ。

結局のところコストに見合う仕事を任されるだけの我々労働者の需要が高まることはないのかも知れないし、労働力の流動性の高まりの中で安く買い叩かれることも覚悟しなくてはならないのではないだろうか。

この変化の中で、我々は外国人労働力との競争に晒されるかも知れない。あまり考えるのも面倒くさいので想像だけすると、社会の構造自体の変化は一般に思われているよりもよほど急激で、しかも行き着く先は現在のアメリカやイギリスどころではない極端な階層構造かも知れないわけだ。

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2005年01月09日

憲法改正問題

社民党がとりあえず自分たちの身を守ろうとして護憲護憲と言っているが、やはり彼らは自分たちが野党であり続けることしか考えていないような主張しかしないようだ。

個人的には憲法は改正すべきと思っているし、改正しないということこそむしろ危険なことだと考えている。憲法を遵守しなくてはならないのは当然のことであり、だからこそ改正は絶対に必要なのだ。

憲法と自衛隊に関する現状としては、憲法を厳密に守っていては国益を損なうので若干逸脱した運用をせざるを得ないという状況がある。当然このような運用はあるべき時にはあるわけだが、ではその状態をいつまでも続けていていいのかというと、それは非常にまずい。なぜかと言えば、究極的には憲法が理念だけの存在になり死文化しかねないからだ。

憲法を逸脱することを簡単に許すようになっては、軍隊という物の性質上、暴走して民主主義のコントロールを失うという恐れが出てくる。実際にそうなるとは考えにくいにしても、そのような可能性は排除せねば我々は安心して居られない。

憲法を改正するためには国民の過半数の賛成が必要であり、憲法を遵守するということを大前提として守るならば、このことが究極の歯止めになる。憲法を改正せずに憲法遵守の精神を失わせては、逆に歯止めが無くなってしまうのだ。

国民を守ることを考えずに妙な主張をふりまく政党はちょっと勘弁して欲しい。それに共感する人々にも、その主張が本当に平和を守れるのか考えて欲しいと思う。

投稿者 so-go : 20:58 | コメント (0) | トラックバック

2005年01月01日

新年に関する考察

今日は一年の始まりだという。本来ならばずっと流れ続ける時間の中で、このような区切りなど意味のないことだと見る向きもあろう。別に昨日と今日でいつもより多く何かが変わったわけではない。


しかし、時刻や暦の概念というのは便利なもので、普通に生活している限りにおいて一年ほどの長い期間を意識的に捉えることは困難なはずだが、暦があるおかげで客観的な時間の流れを理解することができる。

これを有意義に活用しようとするならば、これを区切りとしてこれから生活のクォリティを高めるための決意の時期として考えるのはとても良いことだろう。

過去を振り返るにしても漠然とした時間の流れの中で、過去というのはおぼろげなものだ。それが一年という適当な区切りがあるために、反省と改善をするためのステージとして年末年始というものが機能する。なんと偉大なことだろう。

これからの努力という途方もなさに対して、一年という適当な目標期間があるために、辛い努力をすることもできる。暦という基準の中で先を見通すことが出来る。

そんなことは今更自分が考えるまでもなく、過去から今まで伝統、文化として連綿と受け継がれてきたものだ。原理主義的な自分には、なんの疑問も持たずにそれに従うということは苦しいことであるのでもうすこしこういう大切なことを子供の頃に教えてもらいたかったのだが。

今の子供たちがどうしても「荒れて」しまうのは、そりゃ当たり前の話で、誰にも教えられることなく常識や伝統、文化、決まり事、法、マナー、教養などの意味を理解することなんてよほどの人でないと無理なことだ。今の子供たちは昔の子供たちよりずっと、ものを深く考えるし、能力は高い。彼らは疑問を持つ。それ故に、納得がいかない。自分とて今になってやっと今まで無意味に思っていたいろいろなことの意味を理解できるようになったのだ。子供たちが皆、それを理解していようはずがないし、むしろ今の大人は意味を考えようともせずただただ従っているだけで、それでうまくいっているという人が多いのであるから、双方の考えるところは一致しようはずがない。

年が変わって、何が変わるわけでもない。それは事実だ。しかし、年が変わるということには意味がある。そう思うが故に、自分はこの機会になにか変わってやろうと思うのである。

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2004年12月25日

クリスマス

さすがにクリスマスについて一言も言及しないのもなんかアレなんで書いておく。

なんでまたクリスマスってのはこうも特別というか重要視されるのか。別に宗教云々のことを言いたいわけではなく。とりあえず日本人はお祭り好きであり、踊らにゃ損という文化というか伝統があるわけで、まあお祭り騒ぎはぜんぜん構わないわけである。

クリスマスってのはそれ以上に、全てを巻き込んで気合いの入った行事だ。なんか知らんが子供には欲しいものを惜しげもなく与えたり、各集団ごとにパーティが開かれたり、恋人同士はここぞとばかり二人の時間を過ごす。

プレゼントとパーティはまあいいとして、なんでこう恋人同士の行事という雰囲気が漂っているのかというのはよくわからないところで、恐らく初めからこうであったわけはなく、どこかで誰かが煽ってこういう流れになったのであろう。そこには商業的な目的が背後に見えるわけだ。

いちいち考えるのがめんどくさくなってきたのでやめます。

投稿者 so-go : 20:38 | コメント (0) | トラックバック

2004年12月22日

人間が人のために尽くす意味

今、切込隊長氏やその他多くのブログでニートに関する話が出てきている。
その中で、やはりというかなんというか、人間が望む物は何かとか、社会と個人との関係とかの話も現れてきている。

たまたま最近読んだ本の中で、人間が成人し、子供を産み育てた後にも生き続けて活動し続けることについては生物学的に謎の部分だったという話があった。生物は自分の遺伝子をより高い確率で残すということが第一の目的であって、そのための活動を終えたならば通常は死んでしまっても構わないということらしい。

それが、人間という生き物は個体としての遺伝子を残すことを終えると、その先はその遺伝子が属する社会単位のために行動し、より遺伝子を残す確率を高めるようになるのだという。人間が他人のために行動するという一見不可解な行為は、まさにこのためにしているというわけだ。

この理屈から言えば、当然、人間以外の生き物だってそのようにしていいはずだ。しかし、人間とそれ以外の生き物の決定的な違いは、将来を認識できるかどうかだという。

チンパンジーやオランウータンですら、せいぜいその日までのことしか認識できないという。その先まで考えることが出来ないから、人間のように高度な社会を構築するようにはならないわけだ。

一方で、つい最近の研究で、「うつ」というのは将来を想像する能力についての何らかの欠陥が原因であるというようなニュースがあったことを思い出す。確かに、将来を想像することが出来るからこそ、今何かを学んだり、経験を積んだり、技術を身につけたりという即座には腹を満たさない行動もすることができる。将来が想像できなければ、学習も、勤労もすることは困難だろう。

つまり、正常な、将来を認識できる人間であれば本能に従って社会的な生き方をすることが出来るが、それが出来ないということは、将来を認識する能力やそれに関連する能力に何らかの欠損があるかも知れないということが言える。

その能力は、脳のある部分が関係しているという。しかし、脳自体に障害を抱えた人間がそんなにいるというのは不自然すぎるし、そうではないだろう。生きるために必要な物でも、例えば筋肉は使わなければ嫌でも衰えるし、栄養不足で弱ることもある。それに似たようなことがたくさんの人の脳の中で起こってきているのではないかと個人的には思っているのだが、どうだろうか。そうだとすれば、解決策はそれほど難しくはない(大変ではあるだろうが)。

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体が硬い

自分は体が硬い方なのだが、まあそれはそれで別に構わないやと思っていた。しかし、どうも体が硬い人間は柔らかい人間に比べて行動をするときの疲労度が非常に大きいようだ。となれば、知らずに疲れやすい体のままでずっと生活してきたということで、これは見過ごすことが出来ない。

体が硬い人、柔らかい人がいるわけだが、当然、他人の心の中までは知ることが出来ないので、自分と同じ行動をしたときにどのくらい感じ方が違うのか、疲労や苦痛はどのくらい違うのかということはまるっきりわからない。

しかし、体が硬いほど動くのにエネルギーを必要とするというのはどうやら確定事項のようであり、すると、自分は他人に比べてとてつもないハンディキャップのなかで生活しているということになる。もちろんそうなった原因も生まれてからの自分の生活にあるのだろうが。

そうなると、まずは体が柔らかい人になることに注力しなくてはどうやってもこの先、重りを抱えた老人のような体で周りについて行かなくてはならないわけで、なにはともあれ体を柔らかくし、硬くならないようにすることだ。今、自分の感じているこの怠惰な感じはこういうところから来ているのかも知れないのだから。

投稿者 so-go : 12:36 | コメント (0) | トラックバック

2004年12月21日

景気が悪いせいか

ニートの増加というのはよく雇用情勢と結びつけて考えられるが、たぶん彼らはよほどでない限りはいくら求人が多くなっても就業することはないんだろう。

むしろ、働かないと餓死してしまうというような状況になればほぼ全員が働くだろうし、世の中が進歩してさらに少数が多数を養う構造が進むにつれ、長期的にはニートは増加していかざるを得ない物のように思う。

ほとんどが働かないで食っていける社会というのはまさに高度成長時代の日本や、今の途上国の人々が夢見るような形態であったはずだ。今、その過渡期(とはいえ数十年から百数十年もあるだろうが)にさしかかるに当たって、その経済成長、社会の進展に貢献しない人間はマイナス要素として叩かれる存在になっているようで、あまり意味のない騒ぎなのかもしれない。

彼らの背景を分析することは面白い。無能力者ではないということがわかっているわけだから、資本家としては彼らを使用して利益を上げることが出来るなら上げたいと思う人もいるだろうし、実際にライブドアなどの企業が彼らを適切に使用しようと手段を考えているという話もあったりする。

生産活動をするのに必要なだけの能力があるのだから、じゃあ何が彼らの労働意欲を妨げているのか。彼らの意欲を喚起するのではなく、彼らが隠避している部分をどう避けて生産活動をさせるのかという方向から考えるのもまた面白いものだ。

現状から考えれば、彼らに与える給料はべつに自活できるほどでなくても構わないだろうし、会社員の平均給与が400万円弱というところからすれば、その3分の1や4分の1で構わないだろう。

会社で何らかの労働をするのについて回る要因、対人関係や高度な責任能力の要求、決まった時間の拘束といった様々な部分を緩和し、彼らが労働をする阻害要因を取り除いた労働形態を考えていけばいいのだろうか。

そこに偶然というか、都合のいいことにIT化社会、インターネット社会というものがある。これは知的生産の結果をノーコストでやりとりすることができたりする。これほど都合のいい展開はないんじゃないのか。

しかし恐らく、事業者にとって現状では新卒なり他の会社を辞めた人間を採用して普通に商売をしている方がはるかにいいということなのだろう。それが近いうちに何らかのビジネスモデルか何かでブレイクスルーがあって、現在のニートは労働力となりうるようになるのだと思う。

労働意欲のないニートよりも途上国からの移民のほうがいいという現状はあるが、やはり単純に教養水準や知的能力で言うと日本にいるニートの方が高いのだろうし、双方とも適材適所で使っていくことが望ましいと思える。そういう意味で言うと労働意欲を喚起する方法のほうが手っ取り早くて魅力的にも映るというものだが。

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2004年12月20日

ニートへのプロセス?

世の中にはまともに働いて生活している人がいて、苦しみながら働いている人もいて、結局働いていない人もいる。そりゃ当然人によって同じ行動をしても感じ方は違うわけで、耐性の高い人、低い人、感受性の高い人、低い人、体力のある人、ない人、いろいろな人がいるのだからそんな世の中になってある意味当たり前のような気がする。

しかしそれで終わってしまっては身も蓋もないし、じゃあ自分は働かない人になっちゃいます、ってのはちと困る。個人としてはどのような対策、行動をとっていけばいいのかということだ。

ふつう、日本に生まれ育った人間というのは躾や学校教育、人間関係などを通じて大人になるまでに鍛えられる。面倒くさがらずに行動し、義務を果たし、制約の中で楽しみながら生活を出来るようになっていく。

これが、自分の場合もそうなのかも知れないが、最近はそれを学ぶことなく大人になってしまい、働くこと、人と接すること、辛い状況に耐えること、欲求を我慢することなどを十分に身につけずにその時期を終えてしまう人が出てくる。そうなったら、なかなか矯正することも難しく、自己責任の範囲で堕落していかざるを得ない。

それに当人が気がついているならば、つまり自分のことなのだが、どうすればいいのか。なまじ能力がないわけではないから、その部分が自分の欠陥であると認識するのは逆に困難なのだろうし、それを克服するという行動を起こすことこそまさに最も苦手とする部分なのであるから、なかなか堕落から抜け出せない。

政治家の1年生はその後の役職の激務に耐えられるように、徹夜マージャンなどでそれはそれは鍛えられるそうだが、そういう風な辛さを自分に課していったりすることによって自分も鍛えることが出来るのだろうか。

「今日は辛いから寝てしまおう」という休日、それは、その日だけのことではない。その一日が将来の全ての日、それがあと何日あるのかわからないが、その膨大な時間へ繋がる一つの要素だということを肝に銘じなくてはならないだろう。

鬱というのは将来を想像する能力に欠ける人がなりやすいものだという。つまり、その日の行動が将来へと繋がっているということがはっきりと認識できないので、その日だけの楽を求めてしまうのだ。理性の中では、それではいけないとわかっているので、妥協点として「明日から頑張る」という結論になってしまう。

能力としては、それが自分にはできると思っている。しかし、そのときになると自分はそうは動いてはくれない。自分の心、体を鍛えていくためには、今日、そして今、何をすべきかということが大切ということだろう。

しかし、ここまで理屈を考えないと何も出来ない自分って何だろう。

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