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2013年4月18日木曜日

故郷がない私

私の生まれた場所は静岡県なのですが、0歳で静岡県を離れているため、ほぼ記憶がないので、所謂"ふるさと"とは言えません。最近は出身地とすらあまり言わないです。出身地を聞く時に求めている情報とはたぶん違うでしょうから。


その後は1~4歳まで秋田県、4~6歳が兵庫県、7~18歳は千葉県、19~27歳が東京都、27~28歳が埼玉県、28~31歳が千葉県とシンガポール半々、これからの32~36歳は少なくとも沖縄県、ということになります。


この中で、自分の故郷とか出身地といった時に、今はだいたい千葉県であると言っています。一応、過ごした時間が長く、中学高校の知り合いが多く、購入した家を持っているということがあるので、いちばん故郷に近い存在とは言えるかと思ってはいます。


とはいえ千葉県の中でも転々としていて、合計13年間くらいのうち一番長く住んだ家も5年間です。千葉県も広いですから、住む場所が変われば生活圏は全く違います。長く過ごした場所というのは、結局どこにも無いということになります。


そのように生まれてからずっと転々としてきた自分は、恐らく一般的に多くの人が持っている故郷に対する意識や感情というものはあまり無いような気がします。(他の人の頭の中はわからないので想像に過ぎないわけですが。)表向きには千葉県人ぶっていますが、本当は私はどの場所にも望郷の意識というのは無いのです。


沖縄に来たのは、これからこの地域の未来を作っていく作業へ参加させてもらうことで、自分のある意味でのふるさとの一つを見つけられればなお良いという思いも少しあって、経営学や産業政策を学ぶ上では一般論だけでなく沖縄の視点から考えるようにと思っています。


沖縄というのは孤立した島であり面積が小さいこともあるのでしょうが、県民意識がかなり高い場所であり、なおかつ他人を受け入れるのに寛容でもあるように思います。いつか、沖縄こそわが故郷と言う日が来ることになるのかも知れません。



2013年2月26日火曜日

冬は沖縄、夏は北海道の生き方を現実にしたい

昨日から猛烈な寒波で東日本、北日本はかなり寒くなっているそうだが、ちょうど自分は一昨日の夜から千葉県を離れて沖縄に来ていて、非常に快適な気候の中で過ごしている。今日などは昼間に外を歩いているとまるで初夏のような感じすらした。


やはり沖縄は年間を通して温暖で非常に過ごしやすいが、やはり夏は少し暑いのと、台風が非常に多く、しかも強いのが難点と言えるだろう。東京などの本州は夏は沖縄以上に暑いし、時には台風も来る。やはり涼しく台風が少ない北海道などへ行きたくなる。


そんなに中途半端なことを言うならやはりシンガポールに定住するなり夏はスイスにでも行けばという話にもなるだろうが、そこまで大掛かりなことを言わず、沖縄と北海道であればハードルは低くて実現できそうではないだろうか?


場所や家に縛られない仕事をして、収入を得ることさえ出来ればその願いは叶う。自分は折角会社を辞めたのだから、そういう生き方をしていけるようになりたいと思う。


インターネットとモバイルPCの発展によって、ノートPC一台と通信環境さえあればいろいろなことが出来るようになった。その文明のメリットを最大限に享受したい。そして、身軽で本当に自由な生き方をしていきたい。


【参照記事】
青森・酸ケ湯で積雪558センチ、最強寒波...入試影響も
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/event/disaster/633385/


 



2012年12月27日木曜日

自由に生きるために

自由というのは哲学用語では、「他人に支配されず自分の本性に従って生きる」ことだということだが、そうではなく一般的な意味での自由、つまり「思うままを行う、実現する」ことの方を念頭に置いて。


自由に生きるために一番簡単なのは、十分なカネを持つことだろう。十分というのはいくらぐらいのことなのかと言えば、それは途方も無い金額のことになってしまう。だから、どこかで妥協することになる。それは5兆円なのか、100億円なのか、6億円なのか、1000万円なのか。


カネを稼ぐためになるべく自由を犠牲にしなくて済む状態を作ることが自由に生きるための道になるはず。短絡的に言うと、少ない苦痛や時間でカネを稼ぐことで、自由を増やせる。


そのために必要なことは、知識や技術、知的財産や地位・名声、健康と体力といったものになってくる。最終的に自由に生きることが目的であることを忘れてそれらを追い求めてはいけない。


それから、自分が何をしたいのかを知ることだろう。簡単な例にすると、「一生この最上級和牛ステーキを食べて生きていきたい」ということがわかったとすれば、そのために必要なもののイメージが出来る。カネだったり、歯の健康だったり、その他いろいろな要素があるだろうが、目的がはっきりしていれば間違って山奥に豪邸を建てたり、東南アジアに移住したりして好きなときにうまいステーキが食べられなくなってしまうようなことは無いだろう。



2012年9月25日火曜日

目標は2つに大きく分けると「つくりたいもの」と「築きたい生活」

先ほど1ヶ月にわたる沖縄旅行から帰ってきたところで、いろいろと思うところはあるのだけれど、それはまた何かの時に。


これからどうやって生きていくのか、いろいろとペンとノートで整理していて、未だに頭が固かった部分が少しあったので、もっとゼロから、根本的なところから考えていたら、少し見えてきたかと思う。


行動はまず、自分が「今まさに望むから行なっていること」と、「将来望むことのために行なっていること」があって、オーバーラップしている。どちらかを忘れないことを意識付ける。「将来望むこと」を、「目的」と言い換えることができる。その「目的」を達成するためのマイルストーンを「目標」とし、それは多岐に渡る。


さて、「目的」はなんだろうかという時に、自分はこれまで、それは「自分の幸せ」であるとしてきた。そのための目標が平和であったり経済的繁栄であったり自己成長であったりお金であったりしたわけだ。しかし、「自分の幸せ」というものが漠然としているので、そこをもっと掘り下げないと目標が見えてこない。だから、自分は何の職業になるとか、どういう生き方をするとか、そういうことを決め打ちしようとした。果たして、それで自分は目標を達成したら納得するのだろうか?


そう考えると、とりあえず行動は絞らず、むしろ「今の目標に関係ないから我慢する」ということをなるべくしないようにし、「自分」をたくさん作り、その行き着いた先にあるべき自分が見えてくるのだろうと思った。であれば、自分のすべきことは、自分の感情や思いつきを大事にすることと、それが行動に移せる自由、力を手に入れること。その上でやっと、それぞれの大目標を設定することが出来る。いつでも基本に立ち返れば、目標を減らすことも、増やすことも、変えることも、ちゃんと出来るはずだ。


その目標を頭にいつも置くように整理するためにカテゴライズしようとすると、行き着いたところが、「つくりたいもの」と「築きたい生活」という2つ。すべての目標をここへ並べ、また、増やしたり減らしたりする。そして、「諦め」を理由に消すことは、もうしない。