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2013年1月2日水曜日

国の発展を願う国民、願わない国民。願わない国民は考えが甘い

天皇陛下「国の発展と国民の幸せを」 皇居で祝賀の儀
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/natnews/koushitsu/619005/
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130101-00000530-san-soci


国が豊かになり、個人も豊かになる。そしてそれぞれの幸せを手にするために生きる。


個人の幸せのために、この日本という国は大いに役に立ってきたことは疑いない。そして現状に大きな不満を持たない人々が過半を占める状態が続いている。


国民の殆どが不満を持たなくなった1980年台以降、これ以上の発展、開発、経済成長など必要ないのではないかといった考え方が出てくる。自分も小学生から20歳くらいまではほとんどそのような考えだった。


しかしこれが大きな間違いで、「なぜ」自分たちが豊かなのか、「なぜ」働けばたくさんのお金をもらえるのか、「なぜ」質の高いものだったり便利なモノを買ったり使ったりすることが出来るのか。端的に表現すれば、発展した伸びしろが発展に貢献した人間に分配されるからだ。


現状維持では、その分配される元となるものが存在しない。そんな経済状態では、いわゆるワーキングプアが大量発生せざるを得ない。どこから給料が出ているかわかっていないと、経済ゼロ成長がその原因であることに気が付かないだろう。


喩えるならば、封建制度下における元寇などの防衛戦争のようなもので、守ることにも多大なエネルギーが必要だが、かといって褒美にもらえるような土地などの成果がないので骨折り損というわけだ。攻めて奪取するか、新たに土地を開墾するかということをしなければ、いくら働いても豊かには慣れない。


国の発展は国民の幸せの原資だ。まさに天皇陛下の言葉はその因果関係をよく表した言葉であり、日本国民に広く届いてもらいたいと思う。



2012年12月30日日曜日

とにかく安く買うことよりも、何を買ってどう使うのかが大事

家電量販より高く販売して、お客様から喜ばれるでんかのヤマグチ
http://blogs.itmedia.co.jp/brand_ing/2010/08/post-04b7.html


要は営業を優良顧客に絞り込むこと、価格にこだわらない購入層の満足度を確保するためにあらゆることをするということではあるのだが、これを小手先の奇抜な方法で商品を高く売る珍しいテクニックだと思ってしまうような人も多いと思う。そんな人はやはりセンスがない。


そもそも10万円のものを5万円に値引きされることも良いが、実はそもそも3万円のもので良かったのであればそれでいい。その「自分にとって最適な商品」に気がつくかどうか、選べるかどうかこそが最も大事なことで、さまざまな商品を取り揃えている電器店はそれをこそ助けるべきのはずだ。


そして、買ったあとにも商品の価値が変わる。どこに置くか、壊れたらどうするか。クルマであれば壊れて修理に出したり、車検に出している間は代車を用意されるといったことは当たり前であるが、その当たり前のことが出来ていないのが家電販売業界でもある。


最近よく大手家電量販店では有償で延長保証をつけるサービスがあるが、始めの頃はわずかな掛金だからとよくつけていたのだが、正直言って、初期不良は仕方ないが、電気製品が壊れた時に修理に出す、そのときにメーカー以外の保証を適用するという行為はかなり面倒くさいことなので、余程のことがない限り延長保証をつけないようにしている。生命保険などでも、掛金が安いかどうかよりもいざというとき、特に自分が怪我をしたり病気になって困っているときに手続き等をきちんと親切にやってくれるかどうかが第一だ。その点、このような電器店のお得意さんになっておけば保証の手続きなどもちゃんとやってくれるだろうという安心感から、保証料を払っても良いかな、という気になるだろう。


かつて、そうしたアフターサポートを削って「町の電気屋」を潰してきた大型家電量販店は、結局はamazonや、通信販売を主力とする激安店に大きな圧力を受けている。まさに因果応報でもあるが、電器店の役割に立ち返れば生き残っていくことは可能だ。しかし逆に今、この店のような、いわば「大型町の電気屋」に逆方向から攻められ、生き残るステージは狭くなっていくだろう。


まあそんな業界動向は正直どうでもいいわけだが、他所の店で高く売っているものを安く買えた、という満足感は、もしかしたら何の意味もないものなのかも知れない。本当に必要なものを正しく買っているのかどうか、それを今一度考えるべきだろう。



2012年12月28日金曜日

勉強し直して高校教育過程の素晴らしさに気づく

自分は31歳なのだけれど、会社を辞めてから高校の勉強をやり直してみて、これほどまでに奥深く素晴らしいものかと思った。


自分は一応高校は県立の学区トップ校に行っていて、かなりまともに高校教育を受けているはずの人間ではあるのだが、まるで理解出来ていなかったし、社会経験を経てなるほどと思うことがたくさんある。


高校の国語が出来ている人間は、本当に文章力と読解力があり、センスが見についているだろう。高校の歴史や地理、政治経済、倫理を勉強した者は世界の概要がわかり、哲学がわかり、自分の生き方の立ち位置がわかるだろう。高校の数学や理科を身につけた人は世の中の仕組みがわかり、新たな技術や発見に感動できるだろう。高校の英語が出来ている人間は短期間に英語を習得することが出来るだろう。


自分の場合は中学の過程をきちんと身に着けているからこそ高校の過程をこうしてよく勉強することが出来るということはわかっている。もし、中学や高校、あるいは小学校の勉強を身に着けて来なかった大人は、社会経験を経て得た膨大な知識を土台にやり直してみると人生は面白くなるのではないかと思う。



2012年12月27日木曜日

自由に生きるために

自由というのは哲学用語では、「他人に支配されず自分の本性に従って生きる」ことだということだが、そうではなく一般的な意味での自由、つまり「思うままを行う、実現する」ことの方を念頭に置いて。


自由に生きるために一番簡単なのは、十分なカネを持つことだろう。十分というのはいくらぐらいのことなのかと言えば、それは途方も無い金額のことになってしまう。だから、どこかで妥協することになる。それは5兆円なのか、100億円なのか、6億円なのか、1000万円なのか。


カネを稼ぐためになるべく自由を犠牲にしなくて済む状態を作ることが自由に生きるための道になるはず。短絡的に言うと、少ない苦痛や時間でカネを稼ぐことで、自由を増やせる。


そのために必要なことは、知識や技術、知的財産や地位・名声、健康と体力といったものになってくる。最終的に自由に生きることが目的であることを忘れてそれらを追い求めてはいけない。


それから、自分が何をしたいのかを知ることだろう。簡単な例にすると、「一生この最上級和牛ステーキを食べて生きていきたい」ということがわかったとすれば、そのために必要なもののイメージが出来る。カネだったり、歯の健康だったり、その他いろいろな要素があるだろうが、目的がはっきりしていれば間違って山奥に豪邸を建てたり、東南アジアに移住したりして好きなときにうまいステーキが食べられなくなってしまうようなことは無いだろう。