ブレーンストーミング、略してブレストという言葉は、もう殆ど普及していると言ってもいいと思います。しかし、あまりにも日常的に使うようになりすぎて、「ブレストしましょう」と言って話し合いを始めても、全くブレーンストーミングになっていないことが多いのではないでしょうか?

「ブレーンストーミング」という言葉を私が最初に見たのは、恐らく1998年、高校2年生のときにウィン・ウェンガーとリチャード・ポーの「頭脳の果て」を読んだときじゃないかと思うんですが、頭のなかで嵐が吹き荒れているかのような言葉のイメージに、かなり面白みを感じた記憶があります。
ブレーンストーミングのキモの部分は、否定をしない、思いついたら的確かどうかを判断せずにとりあえず出す、という縛りをかけることで、ブレーキを踏まずにどんどんアイデアを顕在化させることにあるので、とにかくブレーキをかける行為は厳禁です。チキンレースであれば、ギリギリのところでブレーキを踏まなければ海に落ちてしまいますが、頭のなかでいくらブレーキを踏まずにアクセルをべた踏みしても、死ぬどころか怪我することもないので、とりあえず突っ走ってしまったほうがいいわけです。
上司とか先輩とか、時には同僚とか、また、その分野に精通した専門家とかが、そのルールを知っているにも関わらず平気でブレーキをかけてくることを、みんなよく知っていると思います。そのせいでどれだけ会議の時間を無駄にしているか、本人はまるで気づかないどころか、親切で、よい上司、よい先輩としてアドバイスしたなどと勘違いしていますね。ブレーンストーミングのルールを厳密に守ることがどれほど大事なことかわかっていないわけです。
で、おそらくそんな状況の中で普及が進んだのが「KJ法」なんじゃないでしょうか?
KJ法の場合は、アイデアの出し方はいろいろあると思いますが、カードや付箋に各々1人で考えて書くのであれば誰も邪魔しませんし、あまり意味がなさそうとか価値がなさそうと思えるアイデアであっても「とりあえず書いておくか」という心理から出た多くの結果をテーブルに並べることができます。
内気で、失敗したくないという思いがあまりにも強い我々日本人にとって、非常にやりやすいブレーンストーミングの方法なんだろうなと思うわけです。
KJ法の手順は、
1. カードづくり
2. グルーピング
   ・カードを広げて見る
   ・数枚ずつ近い感じのカードを集めてグループにする
   ・グループに名前をつける
   ・グループ同士のグループをつくる
3. つなげる
   ・矢印で相互に関係するもの、相反するものといった関係を表す
4. 結局どうなのか考えたりまとめる
みたいな感じだと思いますが、アイデアのほとんどを後で捨てる、という大前提を意識させられるのが良いのかな、と思います。
捨てるアイデアを出すことで、各自が無駄に自分の出したアイデアに愛情を持ってしまうことも防げますね。
ただ、KJ法を上司が部下にやらせるのは簡単ですが、部下が上司にやらせるのは難しい。これが非常にクソな状況で、せっかくみんなでKJ法をやっているのにロクにアイデアを出さずに見物している上司が、最後に結果をひっくり返したりしやがると、もう誰が二度とKJ法なんかやるか、と思われるわけです。何億円か何100億円かの損失を招いているこの上司は、しかし何の責任をとることもなくのほほんとしているのです。
解説書やセミナーは、やり方とか進め方を一生懸命解説するよりも、「絶対にブレーキをかけない」ことの重要性をもっと強調していった方が良いと思いますね。
自分1人でものを考えるときは、ブレーンストーミングという「考え方」は本当に素晴らしいと思います。