タレントの石田純一さんが、9月17日のSEALDsを中心とした国会前デモで壇上に上がって安保法制反対を叫んだのだそうで、正直、私はそのことを知らなかったのでさほど大ニュースでも無かったんだろうと思いますが、石田純一さんはその後の週刊新潮のインタビューに対して、テレビ関係で干されたことを語ったということが以下のサイトに書かれています。

http://lite-ra.com/i/2015/10/post-1565-entry.html

後からそう聞いたら、石田純一さんほどのタレントがこうした少数派で暴力的かつ稚拙なデモに参加して正面切って叫んだというのはインパクトのあることではありますが、それで果たしてこんなに短期間にテレビ番組とかCM全部の降板になるものかというのはちょっと疑問を感じるところです。
ただ、テレビ局とか広告代理店は、利益を削ってまで特定の政治的立場に肩入れすることを優先したりすることはないのは確かで、今回の行動が原因だとしたら、それがテレビ局や広告代理店、スポンサーの利益に反することと考えられたということでしょう。
とはいえ、個人の行動や発言というのは原則として自由です。時には当然、テレビ局や広告代理店の利益に反することは行います。それでもタレントというのは、そのタレントであること自体に価値があり、トータルでマイナスにさせない限りは強く出ても、勝手なことをしても干されたりはしないはずです。特に今の世の中、テレビ局が面倒くさいと切り捨てたタレントはYouTubeなどのメディアで露出が可能なので、テレビ局側も競争なので、タレントとして価値が高い限りは多少面倒くさい奴でも使わざるを得ないくらいの時代になってきています。
そうなると、もしこの干されたということが本当だとすれば、石田純一さんはタレントとしての価値自体が今さほど高くなく、石田純一さんでなくてはならない仕事というのがさほど無い、ということになる。となると今までテレビに出ていたのは何だったんだという話ですが、付き合いで起用するとか彼の人脈を利用するとかいろいろあったのかもしれません。そういった本来の価値でないところで仕事を得ていたとするならば、今回の行動のような、視聴者や関係者などにとってイメージダウンになる行動が致命傷になることもあるということでしょうか。
ぶっちゃけ多分、番組制作会社とかCM会社とかスポンサーとかも、確固たる信念があって特定のタレントを使っていることは稀なはずで、サラリーマンとして、少しでも上司に怒られるような可能性のある人選はあまりしたくないはずです。
明らかに世の中に一つしかないような「売り」を持っていない限りは、このように「明らかな少数派につく」「評判の悪い連中の仲間になる」のは既存の仕事を失うことに直結しかねないという一つの例ではないでしょうか。
私のアパートから歩いて3分の近所の吉野家があって、沖縄に引っ越してから2週間に1度くらいは行っていたのですが、あるとき、まさにその店でタコライス(沖縄の吉野家にはタコライスがあるのです)にミミズが混入していたという事件があって、それから約9ヶ月、一度も吉野家には行っていません。代わりはいくらでもあるので、わざわざ毛嫌いする理由はなくても、ほんの3%くらい嫌いになればその店に行く理由はなくなります。
最近の経営論でよく言われるUSP (Unique Selling Proposition) というのがいかに大事かつ難しいかというのを思う今日このごろ。あの石田純一ですらこうなるわけですから。
アイドルの乃木坂46というグループのメンバーで、同じ時期に3人のスキャンダルがありました。最も話題になった松村沙友理のほかに、大和里菜、畠中清羅というメンバーにもスキャンダルがあったのですが、大和里菜と畠中清羅はその後、乃木坂46を辞めて、あるいは契約打ち切りになっていますが、松村沙友理はその後も活動を続け、未だに上位の人気を保っています。このことに関して、なぜ松村沙友理を解雇しなかったのかと憤る「ファン」の人たちもいます。
その「ファン」の人たちは、スキャンダルでやめるのは、スキャンダルの懲罰として辞めさせている、という風に思っているのでしょう。しかし、辞めさせるのは懲罰ではなく、利益にならなくなった、利益を上げるのに邪魔なメンバーを辞めさせるだけのはずです。だから、トップクラスの人気があった松村沙友理が辞めずに、それよりも一桁落ちる程度の人気しかなかった大和里菜や畠中清羅が辞めたのはある意味当たり前のことではあります。
それほど、USPを確立しているかどうか、確立していないのであればネガティブなイメージがつかないように細心の注意を払うかというのはものすごく大事なことなのだなあ、と思います。例えが逆にわかりにくいかも知れませんが。