参照:
困った上司とうまくやっていく方法 | ライフハッカー[日本版]
http://www.lifehacker.jp/2015/12/151203book_to_read.html
「困った上司」に対しては、日々日本中どこでも不平不満と愚痴が溢れていますが、はっきりとその組織上の不都合の正体が何なのか、そして、その問題に対する対応をどうするかという議論はほとんどされてこなかったと言っていいでしょう。このこと自体は、労働者の立場とマネジメントの立場がはっきりと分かれていた旧来の日本社会の反映かと思いますが、それはそれとして。
労働者とは言っても皆それぞれが自分の仕事と生活のマネジメントをしなければならない今の時代になり、この問題に対してどう対処すればいいのかという答えを欲している人が増えてきたのでしょう。会社の業績に関わらず組織に逆らわなければ決まった給料が貰えるからそれで良いという時代が終わってきたためだと思います。多くの人がそれぞれの立場で、会社の利益と上司のやり方が合致しないという場面と戦っているのです。
「上司」というパワーと、戦ったり、防御したり、避けたり、受け流したりといった接し方をしなければならない中で、この書籍は、いくら議論が荒削りであったりありきたりだったとしても、良し悪しの判断基準と対応方法を思い切って示していることに価値があります。
漠然とした不平不満や愚痴の内容は、散乱し、発散し、坊主憎けりゃ袈裟まで憎いといった生産性につながらない方向へと進んで、何も改善しないまま終わります。それでも定年まで食っていけるといった時代は終わりましたから、きちんと整理して、すぐに行動しできることが大事です。
この書籍のように言い切られてしまうと、なんとなく思っていたことがはっきりとした認識に変わり、行動の軸になります。元日経記者で元日経メディアプロモーション会長の小嶋健史氏も「~です」「~である」「~だ」と言い切ることが大事だとよく仰るのですが、これが「~だと思います」「~だと考えられる」「~のようだ」という若干の逃げの入った言葉しか言えないようであれば、材料不足であって行動の軸にはなり得ないということです。
情報はいずれにせよ受け取り手の取捨選択が入りますし、思い切って言い切ることを恐れる必要は意外とないというのが現実です。言い切らないことは、次の行動を決められないことや行動しないことに繋がりますが、我々は決めることが怖いからこそ本能的に言い切ることを避けてしまいます。この記事を見てハッキリと言い切られていることで心にガツンと響いたことで、意図的に言い切る癖をつけていくべきだと改めて気付かされました。