もう随分昔のことのような気すらしますが、1ヶ月ほど前に行われたイギリスのEU離脱に関する国民投票について、国民投票という制度の扱い方という観点から自分の考えを整理しようと思います。
Brexutという「結果」と国民投票
イギリスでは2016年6月23日にEUから離脱するかどうかの国民投票が行われ、EUから離脱するという国民の意思が確認されたという形になりました。この結果自体が妥当かどうかという議論はあり、今も再投票をするとかなんとか揉めていたりします。
結果をめぐって揉めてしまっているのは、あまりにも僅差であり敗れた方や棄権した人々にとって気持ちが悪いからということはあります。しかし今回の場合はやはり、そもそも国民投票にかけると憲法などで決まっているわけでもないものを国民投票にかけたということの問題があったのではないかと思います。
日本では憲法改正や最高裁判所の国民審査は国民投票のレギュレーションが憲法で定められていますが、大阪都構想の住民投票はそうしなければいけないと決まっているものではありません。
大阪都構想にしろ、今回のEU離脱にしろ、その行政府の長が直接投票という「結果」を武器に思い通り行政を進めたいという意図の元に行われたものであり、たまたまその「結果」が思い通りにいかなかったと言えるでしょう。しかしその副作用はかなり大きいものがあり、有権者の「反対」という意思が確認されてしまった中ではいかに議会の多数を占めていようと困難です。
国民投票という「セキュリティホール」
意思決定において国民投票があれば全て議会の決定に優先するのであれば、内閣など行政府側は運営によって代議士制を骨抜きにすることが可能になる。例えるなら国民投票というものが一種のセキュリティホールとして存在してしまっているのではないでしょうか。
Brexitの流れの中では、イギリスがEUを離脱するかしないかという極めて大きな問題について国民投票の問題が顕在化してしまったわけです。ここで、イギリスを含め世界各国はこの深刻な「セキュリティホール」をふさぐことを考えなければいけないと、私は言いたいわけです。
また、今のところ実現こそしていませんが、スコットランドが独立したり、それこそ世論が反政府に傾いた一瞬の隙をついて沖縄が独立してしまうこともあり得るわけですし、逆に台湾やネパールやラオスが(下手をすると沖縄すら)自ら中国領となる選択をすることもあり得ないことではないわけです。
国民投票の結果には現状、誰も文句をつけることができないほど、国民投票というのは強力なものです。こうしたものは憲法なり基本法で、その取り扱いについてけっこう厳格に、濫用されないように定めるべきでしょう。どのようにその穴をふさぐのかといった法学的な議論が必要なのではないかと思います。